よく見る朝の番組

 

 



 よく見る朝の番組は、朝ドラばけばけです。今日は、おトキの家にある井戸から、「井戸、そして江戸情緒ただよう松江と倉敷に想う」について書きます。




 井戸とは、地下から水や資源を汲み出すために地面に掘られた穴です。用途によって水井戸、温泉井戸、石油井戸などがあり、地下水位の浅い浅井戸と深い帯水層から汲み上げる深井戸に分けられているそうです。 



井戸の怪談話と小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)には、深い関係があります。​小泉八雲は、日本に来て様々な怪異譚や伝説を集め、後に自身の代表作となる『怪談 (Kwaidan)』などの作品を執筆しました。​


井戸にまつわる怪談


 ​1. 「番町皿屋敷」の紹介・普及​八雲は、日本三大怪談の一つである「番町皿屋敷」(お菊の幽霊が井戸から現れて皿を数える話)を題材にした話を、自身の著作『日本瞥見記』の中で紹介しています。これにより、日本の怪談が海外に広がる大きなきっかけの一つとなった。​


2. 「鏡の少女」の執筆​八雲の短編怪談の一つに「鏡の少女」という物語があり、これは井戸に落ちた古い鏡に宿る精霊が登場する話。井戸が単なる場所ではなく、精霊や怨念を封じ込める、あるいは隠す神秘的な空間として描かれている。


 ​3. 地元の伝承の収集と「ギリギリ井戸」​八雲が暮らした松江(島根県)には、松江城にまつわる怪談が多く残されている。その一つに、築城時の石垣工事の際に掘り起こされた頭蓋骨を供養した跡から湧き出した水が井戸となり、「ギリギリ井戸」(つむじの井戸という意味)と呼ばれるようになったという伝説がある。​このように、小泉八雲は古典的な怪談(皿屋敷)を海外に紹介しただけでなく、日本の民俗や伝承(鏡の少女、ギリギリ井戸など)の中にある井戸にまつわる話を収集し、文学作品として後世に伝えた。 



 さて、今日はなぜかFacebookが私が1年前に訪ねた岡山県倉敷市の大原本邸(大原美術館の向かいの建物)の古い井戸の写真を運んでくれました。(なぜなのでしょう。タイミングが良すぎで怖いですね。)松江と倉敷は、今も伯備線で繋がっていますので、なぜか因縁を感じました。

 写真の井戸は、大原家の中にあった井戸です。




この井戸を造られたのは、江戸時代後期と考えられる為、番組の井戸とも時代が近いと思われます。朝ドラの古い井戸とは違いますけれど、この写真を投稿しておきます。私の実家には空井戸もあります。小さい頃は空井戸と知らなかったので、いつもとてもこわかったです。皆さんの周りには、古い井戸が残っていますか。


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 松江と倉敷 


 山陰と山陽で場所的に離れていますけれど、何か関わりがないか調べてみました。1. 地域の歴史的共通点​江戸時代の領地/藩:両市とも江戸時代には重要な領地支配の中心地でした。​

松江:松江藩(松平氏)の城下町として、出雲地方の中心地でした。​

倉敷:江戸幕府の天領(直轄地)として栄え、物資集散の拠点でした。​


水運と経済的役割:​松江:宍道湖・中海や日本海を結ぶ水運の要衝。​倉敷:高梁川の舟運や瀬戸内海の水運の拠点(特に倉敷川や玉島港など)として、米や綿花などの物資が集散しました。



2. 文化的・地理的なつながり​山陰と山陽の交流:松江は山陰地方、倉敷は山陽地方に位置しますが、古くから両地域の間では、出雲街道などの街道や、日本海と瀬戸内海を結ぶルートを通じた物資や人の往来がありました。​「たたら製鉄」との関連:松江を含む出雲地方は、良質な鉄を生み出す「たたら製鉄」が盛んでした。この鉄は、山陽地方を経由して全国に運ばれており、倉敷周辺の物資集散地もその流通経路の一部となった可能性があります。


 最後に、この井戸のあった倉敷の大原家について 




 大原家の主な業績 


 初代 大原 權右衛門 (ごんうえもん)倉敷にて油屋・酒造業を営む。大原家の基礎を築く。 

二代目 大原 權右衛門 (ごんうえもん)質屋、両替商へと商いを拡大。 

三代目 大原 金基(かねもと) 主屋の建築を開始(1795年)。大庄屋として財を築き、大原家の地位を確立。 

四代目 大原 好道(よしみち) 家業の蔵米取引・実綿問屋を継続。 

五代目 大原 壮平(そうへい) 家業を大きく発展させ、中興の祖と呼ばれる。 

六代目 大原 孝四郎(こうしろう) 倉敷紡績(クラボウ)設立に参加。近代資本家への転身を果たす。 

七代目 大原 孫三郎(まごさぶろう) 大原美術館、クラレ、倉敷中央病院などを創設。文化・社会事業に多大な貢献。大原本邸庭園の整備に関わる。 

八代目 大原 総一郎(そういちろう) クラレの社長としてビニロン工業化に成功。大原美術館の発展に尽力。 

九代目 大原 謙一郎(けんいちろう) 大原美術館理事長、クラレ副社長などを歴任。父・総一郎の理念を継承し、文化と地域の振興に貢献。


大原美術館と初秋

この 大原本邸を建築したのは、三代目の大原金基が、江戸時代後期に建てたということです。この建物の外に出ると蔵に続く石畳の小道が繋がっていました。



大原本邸は、長年非公開の建物でしたが、平成三十年に語らい座として公開されるようになり、現在は音楽のコンサートも催されています。倉敷に来られた際には、是非、お立ち寄りになられてみて下さいませ。

私が倉敷にいるので、松江のお写真が少なくてごめんなさい。ぜひ松江を訪ねたいと思います。最後に大原本邸に飾られていた生け花です。





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