朝ドラばけばけの主題歌の映像の中の足袋と影の謎を探る、その2

おときがいつも裸足で登場している謎については先日のブログ投稿にて考察いたしました。
 この題名は、「朝ドラばけばけの主題歌の映像の中の足袋と影の謎を探る、その1」に改名させていただきました。謎解きがもう暫くかかりそうだからです。
そして、もう一歩二歩解明しました。今日の放送の中に既に重要なキーワードが出て来ました。それは、「ゾーリソーリ」。


この足袋画像のおときについては、おときが女中の仕事ではなく、足袋を履く立場になったことを意味しています。そこまでは、以下のブログの中に書きましたので、ぜひお読み下さい。

 しかし、今日は横にある男性の足袋の画像に注目をしていきましょう。
下の写真を見て下さい。

この写真のシーンは、ヘヴン先生がおときさんにスキップを教えるシーン。足元を見ますとおときさんは、裸足。
ヘヴンさんは、黒いくつ下に靴を履いていますね。練習風景の写真もあります。


おときさんのおじいさま勘右衛門さんのスキップシーン。実に楽しそう。上手でしたね。

ヘヴン先生の足元と勘右衛門さんの足元に注目して下さい。
更に今日12/8の放送では
お正月になりました。ヘヴン先生は、完璧に日本人のように、着物を着ました。羽織、袴に身を包み、全く上半身は日本人になったみたいです。
畳のうえでお正月の挨拶。

しかし、一歩外に出ると足元は、
あら、おかしい。そう、和服に靴なのです。ここで、

「ゾーリソーリ」(ゾウリ、ソーリィ)
「草履Sorry」
とセリフがありました。
何度も、草履をトライしたけれど、痛くて無理だったそうです。
草履はまだ履けないので、すみませんの意味でしたね。

全身は、映さなかったけれど、確かに和服に黒い靴はおかしいだろうと思います。つまり、今日の放送ではまだ「ゾーリソーリ」つまり草履が履けないヘヴン先生でした。

しかし、おときさんとヘヴン先生はやがて史実で小泉八雲とセツさんが結ばれて行くように草履がきちんと履けるような人間になられること。
つまり、二人が夫婦となること。そして、ヘヴン先生が日本人として生きてゆくという意味があるのでしょう。

(まとめ)
故に、主題歌の映像の中に二人の足袋の画像が現れる。その理由とは、

①おときは女中でなくなる。
→ゆくゆくは、ヘヴン先生の伴侶になること
②ヘヴンさんが足袋と草履を履ける人物になる。
→本当の日本人になる。小泉八雲として人生を生きる

そのことを意味すると思われます。

実は、私はこの画像の意味をその先まで、解明してしまったようなので、続きは、次のブログの中に書いていきたいと思います。急いで書かなければなりません。

ブログは書き方もまだよくわかっていません。お読みいただきありがとうございました。今日の画像の中には、重要な物がたくさん出て来たので、引き続き、私の解析、分析、リサーチは頑張らなければ、放送に追いつけなくなってきました。ぜひフォローして、私を応援して下さいね。

今日の放送の画像の中で、私は、幼い頃に祖父の家で見た同じ物を見つけてしまいました。それも探さなければならないようです。それが何であったか、また書いていこうと思います。
その3には、足袋の右下に見える影の存在について探求して参りましょう。

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