記憶の整理 59 | ひよこぶたのブログ

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今は亡き弟 

私が8歳の時産まれ、彼がまだ小学生の時に私は家を出たので
一緒にいた時間は短い。

いつも私のことを呼び捨てにするのに お願い事があるときだけ
ヒヨコ姉ちゃんと私を呼んだ(笑)

家を出てからクリスマスなど弟にお菓子のブーツ送るのが楽しみで
だいぶ大きくなってからも嫌がらせのようにお菓子のブーツを送った。

そんな弟も中学生になりたまに電話すると父親と間違えるくらい
声が低くなってた。なので誕生日に東急ハンズでみつけたレトロなひげそり
をプレゼントした。
後で聞いたら弟はとても喜んで大切にしていたようだ。

私と姉はほぼ同時期に家を出たので その後の事は後から母親から聞いたが
いろいろあったらしく ある日傷だらけで帰宅した弟 入ったばかりの中学生
なのに 他校のヤンキーに○○校の生徒というだけでいきなりボコボコにされたらしい。優しくて大人しいけど中学生ですでに180cm近い大柄だったから
目をつけられやすかったんだろう。

高校に進学したものの 悪い友達にたかられるようになり中退
近所でアルバイト始めるも、給料日に悪い友達がたかりに来る始末。
何故か断れないというたちらしく、地元にいたらどうにもならないと
17歳のとき神奈川で住み込みで働き始めた。

弟はレインボーブリッジの建設に携わる職人の手伝いみたいな仕事だった。

ある日 東京の私の家に遊びにきた弟と飲みながら話を聞いたら まあ職人ある
ある、すっごいおじさんにイジメられて辛いみたいな話をしてた。
まあ、弟もまだいうて17,8だしね。 それから数日後

弟失踪 行方不明事件勃発。本当に心配したがやはり仕事に堪えられなかったようでしばらくして実家に戻り一安心。

沖縄でラーメン屋で働きだし そこは合ってたみたいで認められだいぶ任されでたよう。姉の結婚式で帰った時に弟は金髪長髪になってて爆笑。
毛根たいせつにね♪と言った。

夜姉夫婦と弟のラーメン屋に行ってみた。接客しながらラーメン作る弟見ながら
大人になったなあ~と思った。お会計しようとしたら
「ここは俺のおごりで」と言った弟に益々大人になったなあぁとウルウル。

その前か後かさだかじゃないけど初めて弟の車に乗せてもらったときも
ああ、大人になったんだなあって感動した覚えがある。
祖母のいる施設が那覇からだいぶ離れたとこで弟に連れていってもらった。
私は車に詳しくなく というか車の種類もよくわからんのだが
弟の車はやたら低く いちいち音が大きくバッフンってなるから
故障してるんじゃないの?っていったら何やらそれがカッコイイらしい。
今もってその車のカッコイイはわからない。
父親はいつも弟の車についてはブチブチ言ってみたいだがわからん。


姉の結婚式のとき金髪長髪だった弟に父が親戚に恥ずかしいと散々文句言ってた
が 2年後私の結婚式のときには弟もおちついて普通の髪になってた。

そのあと 詳しい事情は知らないが弟は岐阜に住み込みで働きにでた。