記憶の整理 48 | ひよこぶたのブログ

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小さいとき 団地 台所に立つ母を多分父が手伝ってた。

当時のドラマ 調べたら 前略おくふろさま じゃないかと思うけど
違うかもしれない。 とにかくよく銭湯のシーンがあり あの頃は
今では考えられないくらいの露出ユルユルで 局部以外は全然映ってて

父が「ヒヨコ、お父さんが大好きな裸が出たらすぐ呼べよ!」

私は素直に裸が出たら おとーさーん!と父を呼んだ。

私は父が30歳の時の子供だったので、当時父は30代前半だろう。
ユーモアのある父だったと思う。

あと、同じ時期かな 私は にしきのあきらが好きと言ってたら
一緒にテレビを見てた父が 何の対象かわからないけどアイドル?に熱狂する
女の子達を映した映像みながら

「ヒヨコ 頼むから、将来こんなにはならないでくれ」と言われた。
残念ながら10代~20代半ばまではヘドバンだったから父からしたら残念。

父は音楽は特にこだわりはなかったみたいだけど
クリスマスシーズンになるとビングクロスビーのホワイトクリスマスの
LPをプレイヤーでかけていた。

母は子供時代美空ひばりが好きだったらしく 祖母の家にあった雑誌から
美空ひばりの切り抜きがいっぱい出てきたのを見つけたとき
ああ、母にも少女時代があったんだなあって思った。

私と姉が父の車に乗る時 後部座席で聞かされてたのは主に石原裕次郎とか名前わからない相撲取りが唄うスナックで流れてそうな曲とか 
ゆうこ~♪ってのが記憶にあるけどはっきりわからない。

↑気になり調べてみた
増伊山太志郎「そんな夕子にほれました」この曲だと思う。
ヤバイようつべで調べたら「そんな女のひとりごと」これもめっちゃ聞き覚えがある。父のカーステレオから流れてたのは野球中継かこんな音楽だった。



それが弟が生まれてからは 童謡一色になった。
おかげで童謡通にもなった。