記憶の整理36 | ひよこぶたのブログ

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弟が生まれるとほぼ同時に それまで雇われだった父は会社を辞め
自分の店をオープンした。

母と二人二人三脚 だからすぐ弟は団地内にある0歳児保育に預けられることになった。今からは考えられないがお迎えは私達姉妹。2年生と4年生。

祖母が夕方帰宅するまで少しの時間は子供だけである。
たぶん5時か 6時にお迎えに行かなくちゃいけないんだけど
自由人だった姉はたまにすっぽかし 私一人でお迎えに行くことがあった。

4kg近くで生まれた弟はふっくら丸々した赤ちゃんで当時ひょろっとした体型の私は おんぶして家まで運ぶのはほんと一苦労だった。

両親もこれではちょっとヤバイと思ったのだろう。
間もなく店の近くの保育園に移した。
小規模の保育だったのでもしかしたら0歳保育がなく1歳を待っての転園だったのかもしれない。

夏休み 私達も一緒に店に行き朝の店の掃除をやったらあとは近所で遊んでた。
弟の保育園の前を通ったとき窓際で私達を見つけた弟がまだちゃんとしゃべれないけど、連れて帰ってくれと訴えた。
なので以来 弟の保育近くを通る時は見つからないように気をつけた。

弟は天然パーマでそれが可愛くて両親が髪を切らずクルクルの巻き毛だからいつも女の子と間違われた。

子供の頃はわからなかったが そこは風俗やホテルが密集する町で
入口出口が複雑になってるホテルのフロントでよく遊んでた。

昔ソープはトルコと呼ばれ実際は健全なアカスリとかの文化であるトルコ風呂が
日本では風俗という認識になってることに国際的に抗議され確か一斉にソープランドに名称を変更したんじゃないかな。

ただ私が小さい頃はまだ沢山のトルコとかかれた電飾の看板がいっぱいで
歩きながら母に
「今日学校でトルコ行進曲って習ったんだよ。ほら、あそこにトルコってある
同じだね。」母が無言で答えてくれなかったのはだいぶ後にわかった。

あと店から自宅に帰るまで30分くらい車に揺られるんだけど
姉とよくゲームして遊んだ。ゲームと言っても現代のような機材ありきではなく、停車したとき道や車内の人に手を振り何人がふりかえしてくれるかとか。

その遊びのなかで 帰るまで 大人のおもちゃ という店が幾つあるか数えるちというゲーム。おもちゃとあるのにだいたいの店は中が伺いしれないようになっており、ガラスのドアには蛍光色のサイケ柄や虎の絵などが貼られてたのを覚えてる。

後部座席で姉と二人 大人のおもちゃってどんなおもちゃなんだろうねー
あ、またあったよ!5つめ~♪なんて会話 両親はどんな気持ちで聞いてたのか


我が家の店はそれこそ景気良いときは二人くらい従業員のお兄さんもいたけど
最終的には両親ふたりでやってた。

店のラジオCMも作成 実際どこかで流したのかは不明。