不安ながらネットでは探せず 朝直接羽田へ向かった。
空港で待ち時間が4時間あり 伯母に電話したら母の意識が戻ったと聞き
ひとまず安心する。
幸い13時の便に空きがあり姉の1時間遅れで地元到着。
空港からタクシーで病院へ
聞いてた階まで上がりウロウロしてると看護士さんがどうしましたか?
苗字を言って案内されたのは 父の病室だった。
ベットに寝ている父を見てギョッとした。
骸骨のように痩せこけ 目だけがギョロっと動き私を見た。
思わず
「どうしたの?そんなに痩せて!」
思わず言ってしまった。
正直母の様子を早く見に行きたかったが
病室にいた男性 見舞いかと思ったら車の保険屋さんで
私に
「お父さんこんな状態だし 来月で車検も切れるし 今の保険が今月28日で切れるからもう終わりにした方がいいんじゃないかと言うんだけど なかなかうんって言ってくれなくて、私も本人がそうするって言わないと勝手に出来ないから困ってる」
これは前々から心配してて、何度も母に車もう乗らないほうがいいんじゃないかと言うも車がないと買い物が出来ないと。
知らなかったけど、最近自損もしてたらしい。
なので「まだ乗れるつもりなの?どう考えたってもう無理だよ。」
無視して「ビール飲みたいなあ」
こんな始末。明らかに心の病気である。
私では説得無理なので姉を呼んできますと 母の病室に行ったら
姉、伯母、いとこが 母のベットの側に居た。
意識が戻ったといえどもかなり弱々しく呂律もあやしい。
姉に保険屋さんのこと話して父の病室に行ってもらう。
幼い頃会ったらしいが全く記憶のない伯母といとこから母の話を聞く。
昨日の午前中救急搬送された母はあまり状況が飲み込めていず
が、父を19日に入院させてから殆ど食事を取らず熱い部屋でエアコンもつけずに
洗濯や家事をしていてこうなったと。で23日に自分も入院となった。
ともかく意識のある母を見て安心 だけど
思ってたより認知が進んでいてショックをうける。
パーキンソン病の幻覚もあり ないものをあるからここに置いてとか
病室を自宅と思ってたり対応に戸惑う。
空港で意識が戻ったと聞き 柔らかいものなら食べられるかとブッセを買ってたらそんなレベルではない。絶食中だった。
最初にラウンジで姉と私 病院の相談員Mさんから説明を受ける。
今後のこと、聞けば聞くほど不安になり私は泣いてしまった。
両親の体調も心配だけど、先立つお金のこともものすごく不安だった。
その日主治医から説明を受ける予定 が緊急オペがは入りだいぶ遅くなる。
結局典型的な熱中症とは違うところもあり 詳しく検査したものの
はっきりした原因はわからないとのこと。
父がもう長くないかもしれないと言われたショックもあるんだろう。
その日 両親のマンションに泊まることにして鍵を借りたものの
姉も私もその部屋には行ったことがなく
少し遅い時間ではあったが連れていってくれるといういとこのお言葉に甘え
呼び出して連れていってもらった。
部屋に入るのは怖かったが少し片せば泊まれないこともない。
宿をとるとお金がかかるので泊まることにした。
長い一日は終わりではなくまだまだ続く。少しだけ寝た。