この作文は、私が中学生時代に書いたものです。
当時、わたしは今でいう”いじめ”を経験していました。
その苦しさを、ある日担任の先生に相談すると先生は、私が書いた作文をコンテストへ出品。その作品が入賞し、全校集会にて紹介され、そのことがきっかけで、いじめは落ち着きました。
時を越え、社会人になってからもパワハラを経験するなど、専門とする音楽以外に本当に多くの事を学びました。
ごく普通の日常の一こまですが、何か少しでもお伝えできたら、と思い公開します。
『新聞紙』
6月にある日、私はピアノのレッスンへ行くために、武里駅で電車に乗りました。その日は風が強く、車内には新聞紙が散らばっていました。私は、誰が落としたのだろうか、と半分腹を立てながらそれをみていました。私だけではなく、他の人達も同じように感じていたのだと思います。現に、新聞紙が動くたびに目で追っているのです。ある男の人は、その新聞紙が自分の足元に来ると、足で前へ蹴飛ばしていました。また、何人かの女の人達は、新聞紙が自分の足元に来ると、足を上げ、それがなくなれば下ろすということを繰り返していました。いくら汚ない、目障りだと思っても、私達は普段から新聞にお世話になっているのだから、そこまでして避けなくてもいいのに、と、私は思いました。
載って5分、一ノ割駅に着いた時です。新聞紙は私の足元30センチ程手前で止まりました。すぐ手の届く距離です。拾おう、拾わなければいけない、と思っていたのですが、なかなか手が出ませんでした。そんな自分が情けなくなり、こんな事ではいけないんだ、と自分に言い聞かせ、思い切って拾おうとしました。すると、何人もの女の人達が、新聞紙に手を出そうとしている私を見ているのに気がつきました。その視線がとても気になり、すぐに手を引っ込めてしまいました。心臓の動きが激しく、手に汗を握っていました。すると、新聞紙はまたもや風で飛ばされてしまいました。が、まだそれ程私から遠い位置ではありませんでした。
目的地の春日部はもう真近という時、私は何気なく新聞紙の方へ向って行きました。その時も私は、何人かの人に目で追われているような気がしてなりませんでした。しかし、私は急いで新聞紙を拾い集め、いくつかに折り、電車が止まるのを待っていました。その時もドキドキしていましたが、良いことをしたんだ、と自分に言い聞かせながら、新聞紙を強く握っていました。
私が新聞紙を拾うのを見た人は、どのように思ったのか分かりません。しかし、余計な物がなくなって安心したのではないかと思います。もし、私があの時新聞紙を拾わなかったら、誰か拾っていたのだろう、と今でも考えることがあります。でも、その度に出る結論は、新聞紙を拾って良かった、という事です。私は、人のためではなく、自分自身を成長させるために新聞紙を拾いました。そして、この出来事を機会に、誰かがやってくれるだろう、といういいかげんな気持ちをなくしたいと思いました。自分がイヤだと思うことは他人もイヤなものです。これからは、そのイヤなことを進んでできる人間になりたいと思います。

