こちらの続き

エジプト展から頭から離れなくなった「生死」についての解答みたいなモノが 少しだけ掴めたってお話デス。


ワタシは「他者の生死」に関して鈍感な所があるのです。
近しい人はまだ生きているので「他人事」なダケなのかなぁとも思いますが。。。

乱暴な言い方になるけれど
「今の時点で自分と関わってない人」=「ワタシの世界にいない」=「生きてない」
くらいに感じている。

勿論 ホントに死んでしまったら「悲しい」と感じるだろーし 泣くかもしれない。



小学生の頃 同級生の友人が自殺した。
仲の良かった子だったゲド 引越しして、その後すぐのコトだった。
引越し先は隣の学区。
歩いてその子の家に行き、お焼香を上げた記憶がある。

その時 なんとも不思議な感覚になったのです。
「理解できない」ワタシがいる。

悲しいとか そーいうのではなくて
ただただ「不思議な感覚」だったのです。


あれから何十年も経ち
何人かの人達の「死」を観てきたけれど
未だに良く分からないままなのです。

わかっているのは
「ワタシは生きているらしい」ってコト。
そして
「死ぬ自由を得ている」ってコト。

私達はいつでも死ぬコトが出来るというコト。
いや、厳密に言うと「死のうとするコトができる」ですね。死ねない場合もあるから。






今までの「生きる」において
どうしよーもなく惹かれた人との出会いがあったのですが
その人達に共通してたのは「自殺を試みたコトがある」ってコトでした。

たぶん その人達の発する
「死の誘惑を経た生」に惹かれたんだと思います。

そうなんですよ
ワタシは死の誘惑に惹かれてるんだよ。
そして 死の誘惑を超えた
猛烈に惹かれてるんだよ‼️






この所 ずーっと根底に流れていた
「シニタイ」という想い。
「肉体を離れたい」ワケじゃないのはわかってたのですが 頭から離れない「シニタイ」という言葉。


死にたかったのはエゴ。
もう疲れたー! 死にたいー!
って叫んでたのはエゴ。
(エゴと一言でいっても様々な領域がありますがね)

とにかく
一度死んでみる!
って決めた。
気持ちの中で
死の誘惑を受け入れてみた。


纏わりついてたアレコレが
ハラハラと落ちた。






もう はなれても いい
ワタシ以外のモノから

もう わからなくて いい
わかろうとしなくて いい
ワタシ以外のコトを

もう 私を超えていこう

ワタシ ヲ コエテ 往こう



2020・10・2