一朶の白い雲 | 徒然草~思い付いたことの掃き溜め~
最近


食わず嫌いで観てなかった触れてなかった作品


司馬遼太郎の「坂の上の雲」を観てます


いや司馬遼太郎は好きだったんですけどね


新撰組文学に固執してたかな


他の作家の新撰組を題材にした作品を


けっこう読んだけれども


やっぱ司馬遼太郎はずば抜けてるなぁと思います


文学的にね


なんていうか、


刺す文章を書くんですよ


心とかに刺さる文章


悪い意味だけではなくてどんな意味でも


文豪と言われる作家の作品は


そういう文章が多いですね


下手にこねくりまわして


芸術性を追い求めて


物語がわからなくなるという皮肉


そんなのが多いのですがね


小説って


その点


「坂の上の雲」の冒頭は有名ですよね



「まことに小さな国が、開花期を迎えようとしている」



あとドラマの冒頭は


作品の中のいろんな文章を取ってきたナレーションなんですけど


『明治維新によって日本人は、



歴史上初めて近代的な



「国家」



というものを持った。



誰もが「国民」になった。



不慣れながら、



「国民」になった日本人たちは、



日本史上の最初の体験者として、



その新鮮さに昂揚した。



この痛々しいまでの昂揚が分からなければ、



この段階の歴史はわからない』



ただこの文章を読んで


「司馬史観の現れ」


それだけで済ませてしまうのは


知識の遊戯に過ぎません


すごい文章じゃありません?


封建体制を持ってきた日本が


封建制を自らの力で打破して


拓けた世界に


学校に通いはじめた小学生みたいに


目を輝かせている


そんな日本と日本人が


この文を読むとイメージできますよね


やぁ


司馬遼太郎はすごい作家なんだなぁと


改めて感じました


いやまあ、


余談が物語の流れを忘れるくらい長いという


一種マイナス面もありますけどね(笑)






「坂の上の雲」なんですけど


あんまり明治大正昭和という時代に


興味なかったんですよ


歴史っていう意味では


高校レベルは一通り分かってるし


化学式とか数学の公式に比べれば


全然興味ありますけどね


相対的に興味持ったことないんですよ


なので「坂の上の雲」は


衝撃的でしたね


楽観的だろうとなんだろうと


自分の望むことを


背筋伸ばして追い求める


この時代のそういう姿勢が


まあ日露のあと色々あったとは言え


今の日本を作っていると思うと


先人たちの努力と行動力には


敬意を払わざるを得ませんね


右って訳じゃありませんけどね


でもそれは事実ですわ


んでですね


今の時代でそれは不可能なのかと


坂の上の一朶の輝ける雲だけ


を見つめて歩くのは無理なのかと


いやそうでもないんじゃないかなと思いました


どんな無理に思うことでも


楽天的に


不屈であれば


わりとどんなことも叶うのではないかと


秋山好古や秋山真之や正岡子規


を見ていて思いました


まあ


頑張ろう