雑感 | 徒然草~思い付いたことの掃き溜め~
いま自分の作った和歌見てて


思ったんですけどね


たぶん


私は和歌みたいな人間です


和歌って


わかんないじゃないですか


駄洒落じゃなくて


中学高校って


みんな一応やるんですけど


大学入試問題とか見てて


分かるのって


古典を頑張って


勉強しまくった人たちですよね


でも勉強するだけじゃだめで


もっとこう


高尚な知識と


理解する頭と


そして


豊かな感性が必要なんですよね


ようは


解る人にはわかればいい


みたいな


だから和歌が


恋人の判断基準になるわけで


お互い無学じゃそれでもいい


お互い教養があれば素敵


でも


片方に教養があって


片方が無学はありえない


それが平安時代の恋愛だったわけで




まあ学問に限った話ではないですけど


現代では


私のことも


解る人にはわかればいいって


分かんなくなったは


分かんなくなったのではなくて


分かった気になってただけであってね


相手のことなんて


結局はわかんないのですけどね


客観を判断するのは


最終的に主観であって


客観ってのは怖い言葉です


平等の皮を被った偏りだと思います


だから


客観的に見たら~


って言うのは嫌いで


~って私は思う


っていうのが好きです


まあだから


結局は


人を理解するって言うのは


結局は主観なのですから


相手その人の気持ちなんてのは


分かんないんですよね


その上で


共感できる人ならば


共感してくれればいいし


共感できない人は


別にそれでいいよって


そんな感じですかね


私も和歌も