<<< 別の世界の窓 1 -本と物語と里- のつづきです



里帰り


ほとんどの人がそうであるように、私自身の里帰りの記憶は、母方の実家へ行く事だった。

それは自分の普段と別の場所にもう一つの家族という社会の最小単位があること。



母の実家は広島市基町。

基町の高層アパート群の20階だった。

毎年太田川の花火大会を特等席で見た記憶。






基町の高層アパート群は、基町不良住宅街原爆スラム)解消を目的に造成された。

900戸が密集して並ぶ迷路のようだったという。区画整理がされ1968年(昭和43年)に基町地区再開発計画が立案、10年の歳月をかけすべてのバラックを撤去した上で整備が行われ、1978年(昭和53年)に完了、元の母の家があった場所は、今の平和公園となった。

私が1歳の時の話。



なので、私は母が幼少から暮らした環境というのを全く知らない。四国の大学生になってから初めてGWに実家へ帰るかどうかと聞かれて「里帰りって正月ぐらいじゃないの?」と言う私に、「盆と正月は帰るもんよね!」と力強く言った母には、里や今在るものが消えることに対する強い思いがあったのかもしれない。



高層アパートから平和公園を横切って百貨店のそごうへ行くのがお決まりだった。

夏は流水プールへ冬はアイススケート場へ。

プラネタリウムや宮島水族館。そごうで行くおもちゃ屋はそのうち文具屋や本屋に変わり、催しや映画や美術館に変わった。観る物がたくさんあり、生家の環境よりも情報があり文化があった。






大学生の時に祖父が亡くなり、社会人になってから祖母が亡くなった。母の兄の居る神奈川に墓ができ、広島市には母の実家がなくなった。

それからは法事として毎年神奈川へ行った。丁度祖父と祖母の何回忌が7.8年毎年のように続いたからで、本さえパソコンさえあれば良いうちの家族らは、私が予定を立てて観に行ったギャラリーや美術館について来た。



そこへ行かないとないものに出会うことで、普段考えないことを考える頭の中の旅。

徐々にwebやアプリが充実して新聞の催し欄を見なくなった頃には、時々自分の作品で関東に用事ができた。



自分の普段と別の場所、里帰りは外孫の私が亡き祖父母に導かれて、ちがう景色を見ることができる窓のようなものだった。

最初が起きるのは突然で、流れ着いた時はよくわからない。くりかえし訪れるうちに居場所ができ、それが少しずつ自分になっていく。



そしてずっと居た元の場所は、離れてみないと見えてこない。そこへ帰ることができるならば、きっと何度も帰れば良いのだと思う。昔と全く同じではないことに今の自分が見つかる。