私は仕事上、いろいろな年齢のさまざまな業種の方と
お会いする機会が多い。
最初はなんとなく見た目でお互い”私の三つくらい年下の方かしら”とか
”同じくらいの方かな”とか想像でお話をしているけれど
何度かお会いするうちに、”ところでサトウさんておいくつなんですか?"
などという話になって実年齢を明かすことになる。
そうなると、きまってみんなに
”えええええ~っ!?28歳くらいかと思いました!”などと
実年齢よりも7歳から5歳くらい若くみられていた・・・という結果になる。
若者の男子から言われると嬉しかったりもするその言葉も
仕事関係の方から言われると複雑な気分。
”私って中身なさそうなのかなあ・・・”と
一人しんみり考えてしまうのである。
35年あれば、人生も、仕事もなにかしらの”責任”を負う緊張感や
今迄培ってきた自分の経験に基づく”自信”から生まれる
貫禄が見えてもおかしくない年齢なのに。
そう見えないということは35年ただ年をとっただけで、
なにも学んでいない薄っぺらな人間なのかなと。
だって、35歳って年齢はある程度人生を重ねてきた”貫禄”が
そこはかとなく漂う人が断然かっこいいと思うのだ。
そして人の生き方も35年たてば”人それぞれ”。
私にとってはあっという間にたってしまった35年も
人によってはものすごく中身の濃い35年にもなりえる。
例えば。
モーツァルトは数々の名曲を生み出し35歳で亡くなった。
マリリンモンローはハリウッド女優の頂点を極めた上に
3度の結婚のほかにもケネディなどとも浮名を流し
36歳で謎の死をとげた。
女優としても歌手としても活躍中のJ.Loは35歳の今年
ファッションデザイナーとしてもニューヨークコレクションでデビューした。
35年という月日は、各個人の”生きてきた軌跡”をなにかしらの形で
外に現しはじめていくのではないかと思う。
モーツァルトやモンローのような天才たちは短い35年の生涯
だけで歴史に残る偉業をなしとげてしまった。
私のような一般ピーポーが彼らとステージが違うのは
もちろんわかっているのだけれど
自分が今まで積み上げてきた経験である”自分史”が
自分のオーラの色や輝きを決めていく気がするのだ。
いい換えれば”20代”にしか見えない私は、””20代の人と
同じ経験・積み重ねしかしてない、歳だけとった人”と
受け取れてしまい、複雑な気分になってしまう。
こんな私ってひねくれているだろうか・・・・。
しかし、先日私は思いもかけないところで貫禄を披露することになった。
後輩の奈緒美(26歳)が誘ってくれた飲み会で
彼女の男友達(25歳)と話をしていたときにである。
最初奈緒美から”会社の先輩のサトウせんぱいです”と
紹介をしてもらった私は、彼らとしばらく他愛もないことを話していた。
すると彼らの一人が”ねえ、サトウさんはなんで結婚しないの? ”と
私にとってみれば100万回目じゃないかと思われる質問をしてきた。
”結婚て一人じゃできないでしょ。今後お互い”この人”と思った
人とタイミングがあえば結婚するんじゃない”と答える私。
”・・・渋く、そして的確なお答えをいただきました。先生。さすがです”と
なぜかそれ以降先生といわれ、敬語で話されてしまった私。
25歳の彼らにとってみれば、私の年齢を知らずともその一言で
”そうとう貫禄あるお姉さんなんだろう”と想像がついてしまったのかも。
どうやら私の緩いオーラにも
35年かけて培われてきた恋愛にまつわる人生経験だけは
それなりに滲み出ているらしい。
そのほかの面でも、35年生きてきた自分を堂々と誇れるような
”貫禄”をこっそりと自分のオーラに忍ばせたいものだ。