京都洛北、上高野の三明院の石仏です。

ここは高台なので、明るい陽光がさしこみ、石仏の向こうにも展望が広がっています。

 

京都を歩くと、路地や寺社や神社など、いたるところで石仏に出会います。

 

目も鼻も口も丸くなり、名もなくなり、由緒もわからなくなった石仏が、片隅で、ひっそりとたたづんでおられます。

 

山や河原に転がっていた自然の石も、祈りのかたちが刻まれたとたんに仏さまになります。祈りのかたちは、風雨でさらに丸くなり、人よりもはるかに長生きして、近隣の人々から大切にされ、慈しまれてきました。

 

上高野の崇道(すどう)神社の石仏たちです。

大木の根元の石垣の上に並んでおられる素朴なかたち、それぞれに個性があります。

 

都の東北、鬼門の地にある崇道(すどう)神社は、非業の死をとげて怨霊になったといわれ、平安遷都のもとになった早良(さわら)親王の鎮魂のために建てられた神社です。そのせいか、深い山を背に昼なお暗い雰囲気があります。

 

しかし、裏山には小野妹子の子、小野毛人(えみし)の墓もあり、平安京よりも古くから高野村の祈りの地であったようです。百済よりの渡来人の地ともいわれ、石仏たちは、境内にある小野神社の近くにあります。

 

日本だけではなく、西欧でもキリスト教の教会が建っている地には、もともと地元の神さまの信仰の地であったことが多いようです。祈りのかたちは、幾重も重なりあって、聖なる地にかたちを変えて鎮座しているようです。