identity

 これは、日本語に非常に訳しにくい、強いて言えば“身元・正体”と辞書に載っている、“自分が自分である証明、口語で身分証明書”とでも言おうか。

昔はprivacyという語にぴったりの日本語が、なかなかピンと来ない、まあ、“私的自由”とでも訳そうか、という時代もあった。今では“アイデンティティー” “プライバシー”などと言ったほうが、ピンとくる年代の人々が多いと思う。

 

 このidentityで一番思い出す映画がある。この〈自分とは、このような人間であるという明確な存在意識〉を探し求め始めた、リタという人の良いヘア・ドレッサーと、大学の社会人講座で文学を教えている、マイケル・ケインが演じた酔いどれ大学教授の話である。

 

 ある日、私は席が近かった若いアメリカ人の同僚と、空き時間にビデオレンタルショップに抜け出して行った。その時彼が、これはオススメ、ぜひ見るといいと言って手にとったのが

「リタと大学教授」という映画だった。ジャケットというか、表紙がにやけたマイケル・ケインと若い女優の写真である。とっさに、え~エロっぽい、趣味悪いなあ、と同僚のセンスを疑ったが、彼は「これは、オーストラリアの大学で教材に使われていた」と言ったのだ。

 

 しかし、その夜家に帰って〈リタと大学教授〉を見た私は、すっかりこの映画のファンになった。

主人公のリタが、早く子どもを作って平和な家庭を作ろうと強く求める夫の傍ら、自分が今のままでいいのだろうか?と煩悶している。夫に避妊ピルが見つかり、ひと悶着あったりしているが、自分探しの旅(自己啓発)を求めて大学の社会人文学講座を訪ねる。そこで出会うのが、この酔いどれ大学教授、やる気をすっかり失っている

中年というか、老年に近い教授である。

まあ、ネタバレになるが、リタは必死にこの大学教授を励まし、前向きにしながら、自分のアイデンティティーを見つけていくのだった。

原題が“Educating Rita”(リタを教育すること)。これは同名の舞台がイギリスで長く続いていたらしい。映画の最後の方でリタが言う。「自己啓発というのは、自身の選択の可能性を広げることなのね」と。

 

 この映画を、いたく気に入った私は、当時尊敬していた婦人(友人の母)にも薦めた。

彼女は長い間夫の愛人問題で悩んでいたが、この映画をやはりとても気に入ってくれた。

意気投合した私たちは、いつかお茶しようね、とその日を楽しみにしていたが、私が仕事の忙しさにかまけていて実現しないまま、彼女は病気で他界してしまった。

 いつもいつも私は物事を先延ばしにしてしまう、ぐうたら人間である。後悔ばかりしている。

そんなとき、いつもこのことわざを思い出す。

 One of these days is none of these days. (いつか、そのうちという日は無い)