私は、お母さんと共依存でした。

 

↓こんな感じの母娘関係

 

共依存・母娘関係が迎えた予想外の末路【体験談】

 
↓共依存を抜け出す過程の話
母娘間の共依存から抜け出す途中で起きたこと。こう対処した【体験談】
 
 
最近は、
すっかり母とは距離感ができました。
 
とはいっても、ずっと
油断はできないんだけれども。
 
「思えば母とは遠くなったもんだ」
と思います。
 

連絡の頻度とお互いに思っていること

近頃の連絡の頻度は不定期で、ほぼ母から。
 
1ヶ月に2回くらい電話が来ます。
LINEが週1くらいです。
 
 
私は、
 
「母は母で、
元気に幸せにいてほしい」
 
と思います。
 
 
母は、この間不意に
こう訊いてきました。
 
「あんた、今まで生きてきて、
幸せだと思ったこと、あったか?」
 
なんというか
 
  • 発達障害とか鬱のせいで、学校や一般社会で挫折ばかりだった
  • 離婚に生活苦に生活保護
  • 家族とも一定の距離感を保ちつつ、知らない土地でひとり暮らし
 
こういったことが、はたから見たら
つらいことばっかりとか
孤独な感じに思えるんでしょうね。
 
 
でも私的には…
 
確かに、
 
20−30代の頃鬱になったときくらいまでは
 
「私なんて、生きてても何の意味もない」
 
みたいなことを思ってたし、
毎日つらかった。
 
 
今も、どんなに気をつけてても、
発達障害の特性のせいで
「やらかし」が発生して人に嫌われたりする。
 
だから、人と接するときには
かなり気を遣うし、正直疲れる。
 
 
だけど、自分には編み物や文章など
与えられたものがちゃんとある。
 
ご先祖様の守りの力など
見えないものの助けも感じつつ生きている。
 
 
特に最近は、所属している
読書サークルでの活動を通し、
 
「結構、自分の人生おもろいな」
「自分には自分なりの、できることがあるな」
 
とまんざらでもないのです。
 
 
障害があるから、生活保護でも
あまりしつこくは働けと言われない。
 
だから、安心して好きなことを
お金にする方法を模索できますしね。
 
 
私は母に対し
 
「自分の人生、結構気に入ってるんだが」
 
と答えました。
 
 
彼女は最近それを
ずっと悩んでいたそうで
 
「肩の荷が下りた」
 
と言っていました。
 

適切な距離で「それぞれの正解」である接しかたを

46年間の母娘関係。
 
 
30代になってから
途中で全くの音信不通になって、
 
「故郷も家族も全部捨ててやる!!」
 
と、ものすごくこじれた反抗期を通過しました。
 
 
その末に出した結論が
 
適切な距離で"それぞれの正解"である接しかたを」
 
です。
 
 
解決するというよりは
「落としどころ」を見つけるって
視点を持つほうが、楽だと思います。
 
 
私も一時は徹底的に
自分が安全でいられる距離感を守りました。
 
そして、今。
 
実家から1時間以内のところに
引越す予定をしています。
 
 
実家は堤防より低い場所にあり、
台風など大雨が降るときには水害が心配。
 
不安な際には、自宅を
避難場所にすることも考えています。
 
 
その他、必要なときには実家に行って、
必要なサポートをしようと思っています。
 
 
こんなふうにできそうかな…
と思えたのは、
 
やっぱり「自分勝手」と批判される
リスクを背負ってでも、
 
いったんは自分の心に従ったからだと
思うんですよね。
 
 
別に仲良く行き来して
色々なことを親のためにすることだけが
「親孝行」ではないと思います。
 
自分にできる形で、できることを。
 
お互いに元気で幸せにいられる暮らしを。
 
 
それが真に
大切なことではないでしょうか。
 
 

 

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