【たとえば今日、彗星が落ちてきても】

まんま、「君の名は」ネタですが。
たとえば今日、頭上に彗星が落ちてきたとして。
今までの人生を走馬燈のように振り返ったときに、悔いのない人生を生ききったと自分で思えるだろうか?
肉体に執着はないけれど、やり残したことの多きを嘆くだろうか。
それとも、この世の人生に未練を抱えて、
成仏できない?
まあ、それは人それぞれだけれども。
私は人生のテーゼがいろいろあってね。
今のままだと死んでも死にきれない。
やり残した課題が多すぎて。
素直にあの世に帰れないかも。


もちろん、あきらめはいい方だから、
彗星が落ちてきたら、


「南無三(なむさん)!」


と叫んで、すべてを捨てる。
それくらいの覚悟?はできている。
まあ、そんな羽目に陥ることは
万に一つもないと思うけど。


やはり、たまにはぬるま湯モードの自分に警鐘を鳴らすことも必要なわけで。
よせばいいのに、余計なおせっかいと知りつつも、人にも警鐘を鳴らしたくなるわけで。


「君の名は」のメッセージの一つは「警鐘」なんだよね。


だから、何か書きたくなって、こうして飲み屋に立ち寄り、これを書いてる。


私も前世ではこうして壁に何かを書きなぐって、人々に警鐘をならしたものだ。


一休禅師が正月にドクロ行脚をしたというエピソードに拍手喝采する人間なんです。


平和な日々というのはいつ終わるかわからない。
明日、天変地異が来るかもしれない。
明日、交通事故に遭うかもしれない。
明日、通り魔に遭うかもしれない。
この世にあるさまざまなリスクに日々さらされながら、
私たちは今日という唯一無二の一日を生きているのです。


後悔すんなよ!
自分の人生だ。
自分で責任持って生き切れよ!


人からなんと言われようと
自分の信じる道をゆくのです。

2016.10.4記す
よっくる(*^_^*)