『冒険者たち』は、テレビアニメ『ガンバの冒険』の原作の小説。
児童文学の名著と言えるだろう。
最近はオーディオブックにもなっている。
声優の野沢雅子さんが朗読をされているが、野沢さんはアニメのガンバの声を演じていたので、ファンにはお宝もの。




『ガンバの冒険』は八丈島が舞台であるらしい。


いま、八丈島にはイタチがたくさんいるが、

それはかつて島ネズミを駆除するために導入されたものらしい。


人間が暮らすのに邪魔になる生き物、それが島ネズミ。


人間と動物との生存競争の構図が見える。


ネズミにとってイタチは天敵。

イタチにとってネズミは食料。

これは大自然の摂理。


そんな背景を知って、『ガンバの冒険』を深読みすると、いろんなメッセージが見えないところに込められていると、今頃になってわかる。


小学生の頃、夢中になったアニメ『ガンバの冒険』。


ガンバと個性豊かな仲間たちが島ネズミの忠太の命がけのSOSを受け取り、島へ向かう。


島ネズミは白イタチのノロイに率いられたイタチたちによって全滅寸前。

ノロイは美しい白い悪魔として描かれている。


ネズミたちの大義は生き延びること。

自分たちの生を奪われることなく、まっとうすること。


イタチたちは島で生き延びるためにネズミを捕食する。

それ自体は自然の摂理であり、善悪はない。


それが徹底的な悪として描かれている。


でも、待てよ。

こういうのって、他にもなかったっけ?


例えば、戦後日本で流行った西部劇。

インディアンをアメリカ開拓史の敵として銃で撃つアメリカ人。

これはアメリカ先住民であるインディアンを虐殺していたアメリカの黒歴史。

今では西部劇は姿を消し、インディアンはネイティブアメリカンと呼ばれるようになった。


例えば、ウルトラマン。

ウルトラマンに出てくる怪獣や宇宙人は、人類の敵として描かれている。

地球を侵略する意思を持つ宇宙人は確かに敵と言えるが、怪獣たちはどうなんだ?

放置していれば人類を脅かす存在。

ゆえに駆除。

だが、怪獣にだって生きる権利はある。

利害が合わないだけ。


物語を作るのに、勧善懲悪はわかりやすいので、

善悪の構図が設定される。

まあ、物語だから、いいんじゃね?

でも、さすがに人が人を殺すのはまずいんじゃね?


そうしたソンタクがあったのか、なかったのか。

西部劇はなくなったが、ウルトラマンは今も新シリーズが作られている。


だが、深刻なのは、現実の戦争にもこのやり方が応用されているということ。


ここからは『ガンバの冒険』ネタから大きく離れていくが、

ノロイもインディアンも、

宇宙人も怪獣も

恐怖の存在というイメージ操作され、

自分や家族のいのちを脅かす存在とは

命をかけて戦うという、大義名分が設定されている。


そのイメージ操作がプロパガンダによる洗脳。


戦前の日本で、鬼畜米英、と叫ばれたのもそう。


アメリカが日本人をイエローモンキーと呼んで、蔑視したのもそう。


こういうレッテルを貼って、個人を貶める行為は、いじめとして現代にもあちらこちらにあり、例をあげればキリがない。


こうした人類の抱えている闇の部分は、

一人ひとりの心にも巣食っている。


一人ひとりの心がけが世界平和の始まりと言われるのは、そういうこと。


いかにおのれの中の闇を克服するか。

いかにおのれの中の愛を具現するか。


一人ひとりの想念エネルギーは小さいが、

70億集まれば、相当なエネルギー量になる。


地球に影響を与えるほどに。


われわれは目に見えないものに無自覚だから、

想念エネルギーを無視しているが、

人類の想念エネルギーの総量は決して無視はできない。


しかも、このエネルギーは、人に伝播する。


集団ヒステリーのような状態は、この想念エネルギーの伝播によって起こるのではないか。


戦前の日本やナチスドイツに見られる軍国主義は、国民の大多数の想念エネルギーが作り出したものかもしれない。

そのトリガーを引いたのは、軍国主義教育。


ゆえに教育というのはとても重要なのだ。


ガンバは白イタチ、ノロイを最後にはやっつけたが、そこには、


分かり合えない悲しみ


が横たわっている。