宮沢賢治とその家族の愛の物語
〜『銀河鉄道の父』に描かれた三つの死に想う〜

いつの頃からか、私は宮沢賢治推しだった。
アニメにもなった『銀河鉄道の夜』『グスコープドリの伝記』は登場人物がネコということもあって、幅広い世代の共感を得ている。
日本のアンデルセンを志したという賢治ならではの童話『注文の多い料理店』。
また、詩にもよいものが多い。
処女作『春と修羅』に収載された『永訣の朝』は妹を看取る際の詩であり、万人の心を打つものがある。
そして、『雨ニモマケズ』は、賢治という魂の生き様を表したかのような人物像が生き生きと描かれている。

このように今や宮沢賢治を知らぬものはいないと言ってよいほど、後世の人たちに影響を与え、バトンを渡し続けている。

死を通して生の意味を知る。
ひとにはそういうところがある。
身近なものの死は、死という現実を私たちに突きつけ、生きる意味を問う。
なんじ、なぜ生きるのか、と。

ここでは、映画『銀河鉄道の父』に示された三つの死を題材に考えてみよう。

祖父の死

まず最初に描かれるのは、祖父の死。
江戸時代に生まれ、質屋で一生を全うした祖父の死後、東北地方の伝統的な葬儀の厳粛さに心を打たれた。
昨今のオートメーション化されたような葬式ではなかなか感じられないものかもしれない。
私も最初に死を意識したのは祖父の死であった。
最後は自宅で寝たきり生活を送っていたが、枯れるようにやせて死んでいった。
私には毎朝、登校しようとする孫に声をかけてくれる、やさしい祖父であったが、若い頃は趣味人で、頑固でもあったらしく、わが両親は苦労したと聞く。
近親者の死は、死というものが避けられないものであることを私たちに教えてくれる。
だが、若い頃は、その意味を知らず、お坊さんの講話も右から左なのだった。

妹の死

若いものの死は、より一層、死というものがなんなのかを私たちに突きつけてくる。
ある意味で天寿をまっとうできなかった死は、理不尽に感じられるものだ。
賢治の妹は社会に出て、さあ、これからという時に亡くなったようである。
あまりにも早すぎる死は、家族にはなかなか受け入れ難いものだろう。
だが、当時は、結核は流行り病でたくさんの人が死ぬ病であった。
今よりも死が当たり前の日常だったのかもしれない。
賢治は妹に読ませるために物語を書いた。
それが賢治の創作のモチベーションとなった。
その意味では、妹は宮沢賢治という作家の産みの親か、育ての親と言えるかもしれない。
肉体の生は有限だが、魂の生は無限なるを知れば、妹がその人生計画において賢治の補助者として生き、そして死ぬことを選択したとすれば、その早すぎる死の意味も変わってくるだろう。

賢治の死

死者は、生きているものになにかのバトンを渡して死んでゆく。
自分がこの世でできることはもうない。
与えられた時は尽きた。
だから、あとを託すしかない。

作家は死して、作品を残す。
だが、それが誰にもかえりみられなかったら、無駄になってしまう。
賢治は生前に出版はしたものの、まったく売れず、無名のまま一生を終えた。
あとに残された膨大な作品たちを世に出したのは、賢治の最大の読者であり、応援者であった父の存在が大きい。
資産家で、地元の名士でもあり、商才に長けていた父が、賢治の遺稿を前にして、なにか心のスイッチが入り、以後の人生で賢治の作品を世に出すことに尽力したと思われる。
これも、魂が立てた人生計画というものがあるとすれば、なかなか味わい深い配役である。

死から生を考える時、魂というものの存在を肯定することで、新たなものの見方が生まれるのは間違いない。
それは、死がすべての終わりとする物質的価値観では到達し得ない解釈であり、救いであろうと私は思う。

よっくる