サクヤヒメの出産騒動も落ち着いたとある日。

サクヤヒメとオオヤマツミは、イワナガヒメの暮らす草庵に来ていた。

イワナガヒメは、ニニギくんに振られたのを機に、実家を出て、一人暮らしを始めた。

神の託宣を請われるとしていて、結構当たると評判なようであった。

お茶をすすりながら、オオヤマツミが、

こたびの件では、イワナガヒメのおかげで難をまぬがれることができた。礼を言うぞ。

と、深々とお辞儀をした。

イワナガヒメは、にっこり笑って、

わたしは神様の授けてくださった策をお取次ぎしただけ。お礼を言うなら、神様におっしゃって。

とやさしく言うのだった。

サクヤヒメは、イワナガヒメの手を握ると、

あんなにひどい仕打ちをお姉様にした我がきみでしたが、あれ以来、すっかり人がお変わりになり、みなにやさしく接するようになりました。
まだ、ひとに謝るのは苦手なようですけど…。
お姉様にも、『あれには悪いことをしてしまった。あやまっておいてくれ。』とわたしにことづけるくらいで。

と言った。

イワナガヒメは、

高貴なお方はプライドも高いのです。
おいそれとはひとに頭を下げることはできないのです。
わたしも今さら謝られても困りますし。

と言った。

それにあのことがあって、わたしも自分の人生の舵を切ることができたんですから、
ほら、禍福はあざなえる縄のごとし、でしょう?
不幸なことだと思えることでも、それが幸せの種になることもある、それが摂理というものです。
今がよろしければ、過去のことなど、どうでもいいのではなくって?

と言って笑った。

サクヤヒメもオオヤマツミも、含蓄のあるイワナガヒメの言葉にただうなづくのだった。

それからね、おんなの美しさというものは、外見の美だけで語るものではないのです。
容姿がきれいでも、心が醜い方もおられます。
その姿は、神の目から見たらば、鬼女の姿にうつるのです。
世の男たちは、女たちの心の美しさに気づくべきです。
そして、女たちの心が美しく輝くのは、連れそうおとこが生き生きと仕事をしているときなのです。
おとこの原動力はおんなの支えがあってこそ、発揮されるのですが、おんなが一方的に献身すればよいというものではありません。
おとことおんながむつみ合い、ふたりが奏でる愛のシンフォニーがこの世を明るく照らします。
そして、心が美しい女は、表情にもその美しさがにじみ出るものです。それはおんなの生きる道かもしれませんわね。

そう言って、

あら、これ、ご託宣ですわね。
どの女神様からかしら。

と屈託なく笑った。