【イエスの死の意味】
イエスは磔という残虐な死を迎えた。
それで終わっていれば、忘れ去られてただろう。
ところがどっこい、復活の奇跡を弟子たちに見せた。
そして、それを見たことで弟子たちは魂の使命を思い出し、命がけで師の教えを人びとに伝えた。
生前、イエスは自らの運命を知っていたが、生き延びることを選択しなかった。
生き延びて、人びとに教えを伝え続けることもできたろう。
だが、その道を選ばなかった。
にんげんはみな神の子。
神の子というのは、肉体生命をさすのではない。
見えない魂をさす。
魂の視座からは、肉体は仮の宿のようなもの。
肉体の死にこだわったりはしない。
肉体は期限付きの乗り物だとわかっているから。
だが、生きてるうちは、これがなかなかわからない。
頭では知っていても、いざ死を目の前にすると、
いやだ…
いやだ…
と思ってしまう。
いやだ、死にたくない!
それは肉体生命の持つ叫びのようなものでもあるだろう。
生存欲求。
これがあるから、人は生きていられる。
これが減退すると、人は自死に向かうのかも知れない。
イエスにも生存欲求はあったと思われる。
ゲッセマネの園でイエスはちの泪をながし、
自らの運命を受け入れた。
それは重い病気にかかり、闘病のすえに、
従容として自らの運命を受け入れる病人の姿にも似ている。
生きながら、死を受け入れる。
人にはそんな不思議な力が備わっている。
よっくる