シンウルトラマン。
庵野監督の実写映画は
シン・ゴジラ以来か。
シン・ゴジラでは、ゴジラは
武蔵小杉から多摩川のあたりを練り歩き、
息子たちと楽しんで観ることができた。
ウルトラマンは息子たちに見せなかったから、
シンウルトラマンは一人で見に行く。
これは初代ウルトラマンへのオマージュ作品。
ガンダムシリーズがアムロのガンダムで始まったように、
ウルトラマンシリーズは、初代ウルトラマンから始まり、ウルトラセブン、帰ってきたウルトラマン、と続く。
わたしの小学生時代を彩ったウルトラマンの世界。
勧善懲悪型の、正義の味方ウルトラマンと
人類の敵の怪獣や宇宙人という構図。
世界を敵と味方に仕分けする二元論の物語。
わたしはそれをウルトラマンの功罪と呼んでいる。
二元論に人類がハマってるから、
宇宙人はコンタクトできないというのが真実だと、みんな気づいてるだろうか?
それくらい、今の人類の認識力というものは、幼い。
スパイゲームというアニメがこの春から始まっている。
少年ジャンプで好評連載中のマンガが原作だが、アニメスタッフがよい作品作りをしている。
センスのよいオープニングとエンディングがそれを表してる。
ニセモノの家族がテーマの物語だが、
娘の視点がかわいすぎる。
小さな子どもと大人の両親という構図。
考えてることは三人三様。
いつこわれるかしれない関係を毎回スリリングに乗り切っている。
自分が子供の頃は、自分が世界のすべてだったように思う。
世の中の広さを知らず、
家の中のことしかわからず、
幼稚園というミニ社会に出ても、
なにをしてたか記憶が薄い。
自分の世界の大半は空想で彩られてたような気がする。
ひとり遊びが好きだった。
三つ子の魂、百までというが、
いまもひとりが好きな傾向がある。
自分の世界というのは、ある意味で思い込みの世界。
その世界を創造するのは自分という小さな神様。
神より分たれた自己、だから自分。
言葉というのはよくできている。
おとなになるにつれて、現実の世界に飲み込まれていく。
自分の世界が崩れ始める。
自分が世界の中心ではないと思うようになる。
疎外感を感じ、世界の隅っこに自分が追いやられる。
みんなそういう思いを抱きながら,
無価値観に、虚無に飲み込まれないように
必死に生きてるのかもしれない。
つまりは生きていくための道理が必要。
二元論にその道理を見出す。
そういうことかもしれない。
二元論で自分の世界を再構築すると、
自分を正義の側におくことができる。
それはとても気持ちがいいものだ。
今こそ欲するわが正義、というセリフが
なにかのアニメであったが、
まさにそれ。
ひとは自分なりの正義をかかげて生きていく生きもの。
それが正しいかどうか?
わかっているだろうか?
ウルトラマンの世界では
怪獣や宇宙人は人類の敵として描かれる。
それはあくまでもウルトラマンの世界の話である。
よっくる