【まほろば物語】 谷よっくる
1. まほろばビーチでの出会い
まほろばビーチは、いつも人でごった返していた。
海の色は青く、透き通っていて、
小魚の泳ぐ姿が上から透けて見えた。
砂浜は白く、よく見れば星型の砂が敷き詰められていて、歩くと、さらさらと音を奏でるのだった。
少年は、毎年、夏になると、まほろばビーチの近くの別荘にやってきた。
お母さんは放任主義らしく、昼間、少年は一人でビーチにやって来て、夕暮れまで浜辺で遊んで帰るのが日課になっていた。
少年は、お昼をいつも海の家で食べていた。
ある時、ある海の家に立ち寄ると、自分と同じくらいの年の少女がにこやかに給仕しているのが目に入った。
少女は、夏の間、親がまほろばビーチの海の家で働くのを手伝いに、浜辺に来ているのだった。
少年は、少女の笑顔に魅せられた。
そして、その海の家に毎日、通うようになった。
少女も、自分と同じくらいの年の少年が来るとうれしいらしく、少しヒマな時は少年のそばに来て、世間話を楽しそうにするのだった。
しゃべるのは、もっぱら少女の方で、少年はだまって聞いているだけだったが、少年は聞き上手だったので、時間さえあれば、少女の話は際限なく続きそうだった。
新しいお客が来て、少女が仕方なく仕事に戻ると、少年も少女の長話から解放されて、浜辺に戻るのだった。
少女は、毎日、短い時間だが、自由時間をもらい、浜辺に泳ぎに出てきた。
少年はそれを心待ちにしていた。
少女も、一人で泳ぐよりは、と、少年を見つけると、二人で楽しく泳いだり、遊んだりした。
ある日、少年は少女に、夜、浜辺で花火をしないかと誘われた。
いつも少女の相手をしてくれる少年を花火に誘うように、少女の親が言ってくれたのだ。
ただし、少年の親の了解をとることが条件だった。
少年はあわてて別荘に戻り、昼寝をしていた母親に花火に招待されたと伝えると、母親は、あまり遅くならないように、とだけ言った。
放任主義の母親だった。
少年は喜び、浜辺に戻ると、少女に親の了解を得たことを伝えた。
少女も喜び、親にその旨を告げた。
そして、海の家の後片づけをしながら、夜になるのを待った。
夕暮れ時になると、気の早い家族連れやカップルが浜辺のそこかしこで花火を始めた。
少年は、それを少しうらやましそうな顔で見ていた。
少女はそんな少年の様子が気になって、
「お母さんは来ないの?」
と尋ねた。
少年は、
「うん、母さんは何かと忙しいんだ」
と、ソファーに寝そべりながら、テレビを見ている母の姿を思い浮かべながら、言った。
「そう。」
それたけ言って、少女は口をつぐんだ。
やがて、少女の両親が浜辺に出てきて、みんなで花火を楽しんだ。
2. イルカとカメ
ある日、ちょっとした事件が起こった。
その日、少女はお昼の忙しさが一段落してからずっと、少年と海で遊んでいた。
めずらしく、午後はずっと遊んでよいとの許しを親からもらったのだ。
花火の時に少しさびしそうにしている少年を見て、少女の親が気を利かせたのだった。
二人はビニールのボートをふくらませて、それにしがみついて、沖の方に泳いでいった。
ちょっとした冒険心だった。
しかし、引き潮の時間になると、二人のボートはどんどん沖に流されていった。
様子がおかしいと気づいた二人は、必死に浜辺の方に戻ろうと、足をバタバタさせたが、浜辺は遠ざかるばかり。
二人は初めて海のこわさに気づくのだった。
もし、サメが現れたら、どうしよう。食べられちゃう!
いや、サメが現れなくても、ボートの空気が抜けてきたら、溺れちゃう!
二人の頭の中に、よくない想像がぐるぐるめぐり、二人はこわくなり、口を閉ざした。
不安を口にすれば、現実になってしまう。
そんな思いが二人を黙らせるのだった。
だいぶ沖に流された頃、少年の足に硬いものがカツンと当たる感触がした。
なんだろう、流木かな?
そう思い、足の方を恐る恐る見やった少年の目に、海にプカプカうかぶ石が映った。
「石が浮かんでる!」
少年が思わず大声をあげると、少しぐったりしていた少女も、少年の足元に目をやった。
そして、少し元気を取り戻して、
「亀よ、亀、亀!」
と言った。
亀は二人に気づいてもらえたことがうれしいのか、二人のボートのまわりをスーイスイと回遊するのだった。
「亀の背に乗れば、もしかしたら浜辺まで連れていってくれるかな?」
少年が言うと、少女は、
「でも、二人でしがみつくには、亀の甲羅は小さすぎない?」
と冷静に言った。
「うん、そうだね…」
と少年は残念そうに言った。
このまま流され続けたら、母さんは心配するだろうか。
さすがにびっくりして、僕のこと探して、あちこち動き回るかもしれないな。
母親が、この子の両親に怒鳴り込んだりしたら、どうしよう。
…まあ、死んじゃえば、そんなこと、どうでもよくなっちゃうけど。
などと、少年は、妄想をめぐらせるのだった。
少女は、真剣な顔をして、いろいろ考えていたようだったが、意を決したように、
「ねえ、このままだと、いつかボートの空気が抜けて、二人とも海の底よ。船が通りかかれば助かるかもしれないけど、もうすぐ夜になるから、そしたら、夜のうちに私たちを見つけるのは無理よね。
どっちが生き残れる確率が高いか考えると、私はどちらかが亀の背に乗って、浜辺を目指す方がよいと思うの。
あなたの意見を聞かせてくれる?」
少女の大胆な提案に少年は驚いた。
そして、
「ごめん、僕、わかんないや。」
と答えた。
少女は、少年の答えに失望したのか、
「そう…」
とだけつぶやいた。
こうなったら、一か八か、自分が亀の背に移って、浜辺を目指すしかないか。
でも、ほんとはこういう時って、男の方がしっかりしてくれないと困っちゃうんだけどな。
少女はそんなことを思いながら、少年の方をながめるのだった。
そうこうしているうちに、亀は二人から離れて、どこかへ泳ぎ去ってしまった。
二人は頼みの援軍に去られたような気がして、がっかりした。
日もだいぶ傾き、のどはカラカラで、体力も消耗していた。
このまま死んじゃうのかな。
言葉には出さないが、二人とも死の予感にとらわれ始めていた。
死という名の刈入れびとの存在をこんなに身近に感じたことはなかった。
今まで、死とはテレビのニュースの出来事くらいにしか思っていなかった。
それがこんな目の前にせまってくるなんて。
二人の心は不安で押しつぶされそうだった。
二人とも、こうなってしまったことを激しく後悔し、もし許されるなら、もっといい子になり、親孝行しますと神様に祈るのだった。
人間は、万策尽きた時、初めて神様に祈るのかもしれない。
二人にできるのは、もはやそれだけだった。
そんな時。海の向こうの方で、何かが飛び跳ねているのが二人の視界に映った。
「あれ、もしかして、イルカじゃない?」
少女の顔がバッと輝いた。
少年は、それがどうしたの、と言いたげな顔をしている。
「イルカなら、私、友達だもの。きっと助けてくれるわ!」
少女の目に生気が宿り、遠くにいるイルカの影を懸命に目で追い始めた。
そして、手を合わせると、なにやら一生懸命にぶつぶつつぶやきながら、祈り始めた。
そうこうしてるうちに、イルカがどんどんこちらに近づいてくるのが見えた。
少女はすっかりうれしくなった。
少年は何が起こるのだろうかと不安になった。
やがて、イルカは至近距離まで近づくと、二人のボートの上をジャンプして、飛び越えてみせた。
そして、二頭のイルカが二人のボートのまわりを回遊し始めた。
「やった!これで助かる、助かるわ!」
そう喜ぶ少女だったが、少年は半信半疑だった。
イルカが僕たちを助けてくれるかなんて、わからないじゃないか。
そう疑う少年だった。
少年の脳裏に、どこかの浜辺に大量に並べられたイルカの死骸が浮かんだ。確か漁の邪魔をするからと、漁師がイルカを退治したニュースだった。
少年は、サメならまだしも、イルカを殺すなんて、と強いショックを受けた。
人間は動物には必ずしもやさしくない。
そんな身勝手な人間を動物が助けてくれるだろうか?
少年はボートのまわりを回っているイルカたちも、すぐにいなくなるんじゃないか、と不安になるのだった。
少女は、イルカのいる方に手を伸ばし、おいでおいでをした。
すると、片方のイルカが少女に近づいてくるではないか!
少年は、少女がイルカになにか魔法をかけたんじゃないかと思った。
でも、ふと気づくと、少年のかたわらにもう片方のイルカが水面から顔を出し、そのつぶらな瞳で少年の目をじっと見ているのに気づいた。
少年はびっくりして、少女の方を見た。
少女は何時の間にか、もうイルカの背に乗り移っていた。
イルカに乗った少女。
まるで水族館のイルカショーを見ているような気分だった。
だが、これはショーではない。
次は自分がイルカに乗る番だ。
少年はイルカの方を見た。
イルカはなんだかうなずいているようだった。
少年は無我夢中でイルカの背に飛び移ろうとした。
途中、海にはまって、海のしょっぱい水を少し飲んでしまったが、気づくとイルカの背にしがみついていた。
そこからは早かった。
二頭のイルカは背に乗せた少年、少女を振り落とさぬように、でも、まっすぐに浜辺に向かっていった。
しゅううううー。
まっしぐらに、波をかきわけながら進む二頭のイルカ。
少年はもちろん、少女も夢を見ているみたいだった。
やがて、浜辺が見え、ほどなく浅瀬にたどり着くと、イルカのスピードがにぶり、やがて、しずかに止まった。
遠浅の海は、すでに夕暮れに照らされ、キラキラと輝いていた。
二人はイルカから降りて、海の底に足をつけた。
腰までつかる海の浅さに、これなら自力で浜に帰れるとほっと一息ついた。
少年のおしりに硬いものがカツンとあたり、見てみると、先ほどの亀が泳いでいた。
「僕たちを見送ってくれたの?」
少年が声をかけると、亀はゆっくりと踵を返し、沖の方に泳いでいった。
いつの間にか、二頭のイルカも沖の方に行ってしまって、高く高く、かわるがわるにジャンプして見せてくれた。
まるで僕たちにさよならを言ってるように思えて、少年は、涙を流した。
見ると、少女も大粒の涙を流していた。
そして、なんということだろう。
夕日をバックにジャンプしながら沖へと泳ぎ去るイルカたちの美しさ!
まるで一枚の絵を見てるようだった。
少年と少女は、いつのまにか手をつないで、なかよく去っていくつがいのイルカたちを見送るのだった。
少し遅れて、優雅に泳ぎ去る亀の姿も目に見えるようだった。
二人は、海の友達たちが去っていくのをいつまでも見送っていた。
そして、今日のことは、絶対に二人だけの秘密にしようと、約束するのだった。
3.次元回廊
フト気づけば、そこはなんにもない空間だった。
真っ白な、なにもいない空間。
少年は、そこでは少年の姿をしておらず、青年の姿をしていた。
(彼女はどこにいるんだろう?)
青年の姿をした少年(以下、青年)は、彼女を求めて、虚空に目を走らせた。
すると、なにもなかった空間に突然、イルカが現れた。
あまりにも唐突な出現に、青年は驚いた。
「やあ、僕はドルフィン。君の導き役さ!」
ドルフィンはそう言うと、青年のまわりをうれしそうに回遊した。
「僕は君を知っている。そうだ、今日、海で僕たちを救ってくれたイルカ君だね!」
青年がそう言うと、ドルフィンはうれしそうに虚空を何度もジャンプした。
「そうだよ。僕たちは君たちが海に流されるのを知らされて、救いに向かったんだ。間に合ってよかったね~」
フレンドリィなドルフィンに青年も親近感を覚えた。
「おかげで命拾いしたよ。ありがとう。君は僕らの命の恩人だ!」
青年がそう言うと、ドルフィンはうれしそうにして、こう言った。
「いや、礼には及ばないさ。僕らにとっては朝飯前なことだしね。それに君たちのガイド役をこうして仰せつかってるわけだから、まんざら浅い縁でもないだろうし。」
青年は誰がドルフィンに自分たちを助けるように言ったのだろうと気になった。
「君は、誰に僕らのことを聞いたんだい?」
「それはね、天からの声だよ」
「天からの声?」
青年が聞き返すと、ドルフィンは大きくうなずいた。
「僕たちは日常的に天から通信が来るんだよ。天と通信しながら、人助けをしたり、危険を察知したり、こうしてガイド役をしたり、いろいろしてるんだ。」
「ガイド役ってなに?」
青年がなおも訪ねると、ドルフィンは
「それは今にわかるよ。」
とうれしそうににっこり笑った。
青年とドルフィンが話をしていると、向こうの方から何かが近づいてくるのが見えた。
それはイルカに乗った美しい娘であった。
青年は娘の美しさに目を奪われたが、どこかで会ったことがあると強く感じた。
そして、娘が近くまで来ると、それは確信に変わった。
「君は浜茶屋の女の子だね!」
娘はにっこりとうなずくと、
「あなたは浜辺でいつも遊んでくれる男の子ね!」
と答えた。
二人はお互いの顔を見合わせて、にっこりと笑った。
娘を乗せてきたイルカはドルフィンと知り合いらしく、仲よさそうにくるくると回遊している。
少女を海で助けたのはこのイルカなのだろう。
ガイド役のドルフィンは、二人の目の前に来ると、こう言った。
「次元回廊へようこそ。ここは時間と空間を超越して旅することができる場所さ。君たちは今、眠りについて、魂がここに遊びに来ているんだ。正確に言うと、呼び寄せられて来ているんだけどね。その目的は、時空を超えた旅を経験することだ。」
二人は驚いて、ドルフィンを見た。
「そんなことができるのかい?」
「うん、ガイド役がいればの話だけどね。」
ドルフィンは答えた。
「ガイド役は君たちが見る必要がある時と場所に君たちを案内するのが勤めだ。それが僕たちの役割なんだけど、時空を飛び越える能力は誰にでも与えられているわけではないんだ。それを龍たちがになうこともあるし、僕たちのようなものがになうこともある。君たちはイルカとの縁が深いから、僕たちがガイド役に選ばれたんだろうね。僕たちは海に住む人間と呼ばれるくらい、高度な知性を持つ生命体だ。君たち人類の多くはまだそれに気づいていないけど、気づき始めている人たちもいるよね。僕たちの仲間が人間に転生して、君たちと僕たちを結ぶ役割を果たしていることだってある。まあ、ここでは僕たちは君たちの友達であり、地球の仲間だということさえ、わかってくれたらいいよ。」
青年はドルフィンに
「昼間は僕たちを救ってくれてありがとう。まさか、こうしてお礼を言えるなんて思ってもみなかったけど、言葉が通じるのはうれしいよ。本当にありがとう!」
とお辞儀をした。
娘も青年とともに頭を深々と下げた。
ふと気づくと、二人は、時代がかった旅恰好をしていた。日本の武士の時代にはやっていた着物のようだった。
「ほら、早くもこの空間の働きが始まったようだ。君たちは過去のある人生の時の恰好をしている。これから行くのはそういう時代なのかもしれないね。」
そう言うと、ドルフィンは青年に自分の背中に乗るように合図した。
青年がドルフィンの背中にまたがると、娘ももう一方のイルカの背中に乗った。二組の人とイルカは次元回廊の海を泳ぎ始めた。
イルカの背から前を見ていると、光の線が左右に分かれ、ぎゅんぎゅんと音を立てて、自分のそばを過ぎているように感じられた。
目の前がまぶしくて、二人は目を開けていられなかった。
振り落とされないように、必死にイルカの背びれにつかまっていた。
イルカたちは高速で次元回廊を泳いでいるようだったが、二人には自分たちがあたたかな光に包まれているような感覚があり、イルカたちと一体になっているような気がして、まったく不安はなかった。
やがて、まわりがすべて光に包まれ、真っ白になった。
4.見てきた風景
アボガド通りは海辺の町の目抜き通りで、
いつも人でごった返していた。
少年は昨日見た夢を思い返しながら、
お使いのために道をとぼとぼ歩いていた。
少年の母は、およそ生活力のない人で、
普段は家事をお手伝いさんに任せきりにしている。
そんなだから、一人では料理一つ満足にこなすことはできない。
バカンスでお手伝いさんもいない別荘では、少年にお金を渡して、食べ物などを買ってくるように言うのが彼女にできることだった。
そんなわけで、少年は毎日、アボガド通りの商店街に出かけては、食料品を買うのだった。
それにしても、昨日見た夢はやけにリアルだったなあ。
あれは本当にあったことなんだろうか?
それとも、幻想の産物?
少年が見た夢は、こんな物語であった。
・・・
イルカに乗った青年と娘は、光の回廊を抜けて、ある時代へと降り立った。
そこは、大昔の日本のようであった。
場所は鎌倉、という言葉が浮かんできた。
武家屋敷の庭に少女が遊んでいる。
この家の娘なのだろう。
そして、木の上には少年が寝そべり、遠い目をしていた。
少女は少年に声をかけた。
「義高様、降りてきて、一緒にまりをつきましょう。」
少年は面倒くさそうに
「あとで」
と言うと、目を閉じて寝たふりをした。
付き合いの悪い少年にむくれる少女。
そんな他愛のない情景を二人はイルカとともに見守っていた。
すると、情景が変わり、夜の庭になった。
先ほどの少年が庭にやって来ると、
雨戸のしまった家の方をしばらくながめ、目を閉じて、何かを祈っていた。
二人には、少年の心の声が聞こえてきた。
「姫、短い付き合いだったけど、楽しかったよ。ありがとう。
もう、この世で会うことはないだろうが、いつまでも君のこと、忘れないよ。
僕は君の幸せを願っています。」
そして、少年は庭から出ていった。
青年と娘は、ハラハラしながら、情景をながめるしかなかった。
すると、また、情景が変わり、暖かい陽射しの中、庭で白拍子が舞っているのが見えた。
少女は、家の中からぼおっとした顔で、それをながめていた。
白拍子の心には、愛しい人と引き裂かれた心の傷があり、
その悲しみが舞にも現れ、見る人の心を打つのだった。
白拍子の心の声が聞こえてきた。
「どんなに遠くに離れていても、私の心はあなたのそばにおります。
たとえ、もう二度と会えない定めでも、あなたと過ごした日々は私の宝物。
どうかいつまでもあなたらしく生きていて下さい。」
すると、少女の目から大粒の涙が流れるのが見えた。
少女の心の声が聞こえてきた。
「ああ、このお方は私と同じ悲しみを抱えているのだわ。
愛しい方と添い遂げられなかった悲しみ、辛さがひしひしと伝わってくる。
なんて悲しい定めなのでしょう。」
すると、白拍子にも、少女の思いが伝わったのか、踊りながら、ひとすじ涙を流すのだった。
「ああ、こんな年端のいかない少女ですら、辛い別れを経験している。侍の世のなんと辛いことか。」
白拍子の心の声が聞こえてくる。
青年が娘の方を振り向くと、娘は目を真っ赤にして泣いていた。
青年はふと、あの少女か、白拍子は彼女の前世かもしれないな、と思った。
そうこうするうちに、二人はまたイルカに乗って、光の回廊をゆくのだった。
「今のはなんだったのかな?」
青年はドルフィンに聞いてみた。
ドルフィンは、
「それは、あとで彼女と話し合ってみるといいよ。僕らは君らを連れて行くことが役割だけど、あまり多くを語ってはいけないんだ。君たち自身で気づくことが大切なんだ。」
青年は、そういうもんかな、と思って、娘の様子を見てみたが、娘は真剣な面持ちで何かを考えているようだった。
彼女には、僕にはわからない何かを感じる力があるのかもしれない。
青年はそう思った。
・・・
少年は我に返ると、買った食料品を急いで別荘の冷蔵庫に突っ込み、
「ちょっと出かけてくる!」
と言って、別荘を飛び出した。
早く彼女に会って、昨日の夢のことを話してみたい。
彼女が同じ夢を見てるかを早く確認して見たかった。
5.大団円
少年は少女の家の呼び鈴を鳴らした。
少女が出てくると、少年は
「ちょっと」
と言って、少女の手を強引に引っ張った。
少女はすぐに少年の用件に気づいて、
「ちょ、ちょっと出かけてくる!」
と家の中に叫ぶと、
少年に手を引かれるまま、戸外へと駆け出した。
少年は必死に少女の手を引っ張り、少女は(ちょっと、痛いんだけど!)と心の中で思いながら、それでも黙って、少年の後をついていった。
二人はアボガド通り沿いにある公園に駆け込むと、ベンチに座り、息を整えた。
「ハアッ、ハアッ」
少年は精魂尽き果てたかのようにベンチにだらんと座っている。
少女はしゃんと背を伸ばして、お行儀よく座っているのと好対照だった。
少女が少年が話すのを待っていると、少年は、ようやく息が整ったのか、
「ご、ごめんよ、急に。驚いた?」
と少女の方には向かずに、ちらりと横目でながめながら、聞いた。
「ううん、昨日の夢の話でしょ。」
少女は、少年が言いたいことを見透かしたかのように言った。
「やっぱり、君も同じ夢を見てたんだね。きっと、そうだと思った。」
と少年が言うと、少女はフフフと笑った。
「僕にはあの夢がどういう意味があるのかわからないんだ。」
と少年は言った。
「だから、君がどう思ったのか確かめたくて。」
少女は、そうね、と前置きしてから、自分の考えを話し始めた。
「私が思うのは、あの夢は私たちの前世に深く関係してるんじゃないかということ。前世って、意味わかる?」
少女が尋ねると、少年は、
「それくらいわかるよ。父ちゃんの葬式の時、お坊さんが言ってたもの。この世だけがすべてじゃない。必ず来世にまたよみがえるし、前世でも違う人生を生きてたんだって。」
と答えた。
少年が父親を亡くしていることは知らなかったので、少女はまずいことを聞いたかしら、と少し黙ってしまった。少年は気にしていないと見えて、「いいから、話を続けて」と少女を促した。
少女は話を続けた。
「ごめんね。つらいこと、思い出させちゃったね。でも前世とか、来世って、私もあると思ってるの。私ね、人には見えないものが見えたりするんだ。だからね、人って、目に見えるものがすべてじゃないって、知ってるの。魂って、わかる?」
少女が少年に尋ねると、少年は「ああ」と言葉少なく言った。
「母ちゃんがそういう本が好きでさ、僕も読まされた。」
そう、と言って、少年に話が通じるので少し安心したのか、少女は話を続けた。
「それじゃ、あなたには話がわかってもらえると思うから、最後まで話をさせてね。わからないことがあったら、止めてくれて構わない。私、ふだんはこんなにおしゃべりじゃないんだけど、自分が興味のあることを話し出すと、止まらなくなっちゃうの。お母さんにお前は普段は無口なのに、話し出すと長いって、よく言われるんだけど。」
「いいよ、話を続けて」と少年。
「昨日の夢で見た光景ね、私、以前にデジャビュで見たことあるの。デジャビュってわかる?」
「それはさすがにわからないや。」と少年。
「デジャビュっていうのはね、いつかどこかで見たことあるっていう光景を見た時に感じるものなの。初めて行った場所なのに、なんだか無性に懐かしいとかね。あれは、私が鎌倉に家族で旅行に行った時のことだった。両親が源平物語のファンでね、名所めぐりをして、結構マイナーなとこにまで連れ回されたんだけど、あの女の子のいた屋敷と、白拍子が踊っていた庭にね、行った時に、なんだか涙が止まらなくなっちゃって、両親にびっくりされたの。私もその時は自分の涙腺がなぜこわれたのかわからなかったんだけど、ただ無性にここには来たことがある、ここで昔、私は暮らしていたんだって、そういう感じがしたの。そういうの、デジャビュって言うのよ、わかる?」
「うん、わかったよ。」と少年。
「それであとで歴史の本とか読んでね、あの屋敷は源頼朝と北条政子の長女の大姫が暮らしていた場所らしいって、わかったの。大姫には悲しい恋物語があってね、頼朝の敵だった木曽義仲の息子の義高と政略結婚で、子供同士なのに、許嫁にされちゃったのね。でも二人は友達になって、仲良く遊んでたらしいんだけど、ある時、お父さんの義仲が討ち死にしたのを知ってね、お父さんの仇の頼朝のそばにはいたくないと言って、鎌倉から逃げてしまうの。大姫に別れをつげてね。」
少年は、そんな物語があったのかと少女の博学に驚きながら、少女の話に耳を傾け続けた。
「だから、昨日の夢を見て、あの女の子が大姫だって、すぐにわかったのね。そして、白拍子っていう、舞を踊る人がいたでしょう? すごく美人の。あの女性が静御前だっていうのもわかったの。」
「静御前って、確か義経の奥さんじゃなかった?」
「そう、だから、義経と離ればなれになって、鎌倉に送られて、敵の家族の目の前で舞を踊った静御前の気持ちを考えたら、なんだかたまらなくなっちゃって」
少年はちらっと少女の整った顔を見て、
「君の前世は大姫なの? それとも、静御前?」と聞いた。
少女は少し笑うと
「あのお屋敷に住んでいたとしたら、大姫かもしれないけど、そこまではわからない。」と言った。
「でも、もしかしたら、あなたは義高なんじゃないかな? もしそうなら、私は大姫ね。」
少女に「義高」と言われて、少年はそうかな?とも思ったが、少年もまた、よくわからないのだった。ただ、義高という少年武士の父親を思う気持ちはなんとなくわかるような気がした。
少女は話を続けた。
「私たちはイルカの背に乗って、タイムトラベルしたんだと思うの。夢の中だと、そういうこともできるのね。あのイルカたちは私たちを海で助けてくれたイルカたちのスピリットだと思うけど、なんだか昔からの仲間のような、とても懐かしい感じがした。だから、海で遭難しかけた時もね、イルカがやってくるのを見て、ああ、これで助かったって、確信できたんだ。」
「ふうん、そうなんだ。僕は岸が見えるまではいつ死ぬかと気が気じゃなかったけどね。君はしっかりしてるなあ。」
と少年。
少女はフフフとまた笑って、
「でも、昨日の夢ではっきりわかったの。あなたと私は前世からのご縁でつながってるって。そうして、導かれて、このまほろばビーチで出会ったの。ボーイミーツガール。ちょっとロマンチックじゃない?」
少女が屈託なく笑うのを少年はどぎまぎしながら見ていた。
少年にはまだ恋は早すぎたが、少女と縁があると言われるのはまんざらでもなかったし、もしそうなら、母親に連れられて、夏のバカンスをここで過ごしていたのも無駄ではなかったと思える。
「でも、夏休みが終わったら、僕は帰らなくちゃいけないんだ。」
さびしそうに少年が言うと、少女は
「あら、私も帰るわよ。」
と言うので、少年は「どこに?」と聞くと、「東京」という。
少年が「僕も東京だよ。」と言うと、少女はくすくす笑って、「ほらね」と言った。
「私たち、これからも会えるわね、きっと。」
そう言って、晴れやかな顔で空を見上げた。
太陽が照りつける夏の青空。
少年も少女の真似をして空を見上げると
「そうだ、きっと会える」
と言った。
おしまい