死は、当人から見たら、存在するステージが変わるだけ。

当人のスピリットの居場所が

この世からあの世に変わるだけ。


誕生はその逆。

スピリットの居場所が

あの世からこの世に変わる、それが誕生。


ひとは、この世に生まれると、

この世のことしかわからなくなる。

あの世のことをすべて忘れる。

この世を生きるのに必要ではないから。


だが、この世の生に執着してしまうと

死を忌むべきものと思いすぎる。

死をなるべく遠ざけたい。

死は苦しいもの。できれば経験したくない。

長生きしたい。


死とはなにか。

死とは恐ろしいものか。


死が身近なときは、

それほど死を恐れることはなかっただろう。

死は自然の摂理なり。

死は当たり前の日常のなかにあるもの。


寿命が伸びたことで死が遠いものとなり、

代わりに目にするのは

殺人や自殺、戦死、災害による死などの

非日常の死。

死に対するネガティブなイメージが

積み上げられていく。


とりわけ、戦争による大量死を見ることで

人は死を嫌がるようになり、

生の継続をのぞんだ。


ひとりの人間のいのちは地球より重い

と言う人もいた。


いのちとはなんだろう。


肉体の生をいのちとするならば、

肉体の死はいのちの終わり。


本当か?


本当にそうか?


見てきたんかい?


死んだら無になると

誰が証明した?


ただ、そう信じ込まされているだけだ。


それを洗脳と言うのだ。


洗脳というのは、偽りの思想を強制的に信じ込ませることだ。


洗脳する側とされる側がいる。


ナチスドイツのヒットラーは闇の力を借りて、ドイツ国民を洗脳した。

一部のユダヤ金融資本の活動を妨害するために、すべてのユダヤ人を悪とするすり替えをし、ゲルマン民族が世界で一番優秀と断言し、多くのドイツ国民が自らの誇りを鼓舞されて、ヒットラーを信用した。

ヒットラーがどんな悪政をしても、盲信するようになった。

これは人が洗脳された時には冷静な判断力を失う歴史的教訓だが、

人類は同じ過ちを繰り返すかなしき存在。

今も同様のことがアメリカやロシアで繰り返されている。


洗脳された人は、それを信じ込まされているため、自分が洗脳されたとは思わない。

洗脳とはそういうもの。


肉体の死はいのちの終わりと

誰が言い始めたのか?


科学者たちか?


宗教者はいのちの永遠を説いてきた。

いのちのことは宗教者に聞け。

そういう時代もあった。

だが、今はどうだ?

宗教者の権威は地に落ち、

日本では多くの人が宗教に不信感を持つようになってしまった。

反面、科学がすべて正しいという科学信仰がはびこるようになり、

精神的価値観はすたれ、

物質的価値観が世の中の中心となった。


なんて息の詰まる世界だろう‼️


もっともっと価値観の多様性は認められてよいはずだ。

なぜ一方が正しいと断ずるのか?

人は多様性の中から自分の個性にあったものを選んでいいはず。

せまい価値観のみを正とする社会は持続可能性がない。

人の持つ価値観には大なり小なり偏りがあるものだ。

その偏りが大きくなり過ぎると、大きな弊害となる。

今の社会がすでにそうなっているではないか。

なぜ、そこから目をそらす?

なぜ、それに気づこうとしない?

なぜ、見ないふりをする?


世代、世代で育んできた価値観に足をとられ、人は身動きがとれなくなっている。


世代交代しか、人類が救われる道はないのかもしれない。


昭和世代がどんどん高齢化し、

平成世代が社会の中心となる。


世代交代は数十年かけて行われるが、

これもまた、自然の摂理だ。


次の世代が切り開くニューエイジ。


それは地球時代の終わり。

そして、宇宙時代の始まり。

そうであってほしい。


新たな時代の価値観を‼️


よっくる