【愛のわらしべ長者】

わらしべ長者は、
一本のわらしべを元手に
長者にまでなった男の成功物語。
商売人のバイブルと言ってもよいでしょう。
それをスピリチュアルテイストで書くとどうなるか、見てみましょう。


 

(この物語を帰天された歌手の倉原佳子さんに捧げます)


あるところに
一人の女がおりました。

女は、
財産も、
家族も、
すべてを失い、
放り出されました。

女には
愛ひとつだけが
心の中にある
宝物でした。

女には
特技がありました。

それは
歌を歌うことでした。

歌を歌うと、
自分も幸せだったし、
聞く人もみな
幸せを感じるのでした。

女は
知り合った人のために
アヴェマリアを歌いました。

マリア様が大好きな人々は
女の歌に感動し、
自宅に招いて、
食事など振る舞うのでした。

ある時、
その女の噂が
教会の神父の耳にとまりました。

神父は
教会に女を招くと、
神様のために何か歌うようにと
言いました。

女は
いつものように
アヴェマリアを歌いました。

神父の目には
女が歌っている間中、
教会の中が光り輝いているように
見えました。

神父の目には涙があふれましたが、それをぬぐうことも忘れ、
女の歌に聞き入っていました。

神父は女に言いました。

「あなたの歌声は素晴らしい。あなたが歌うと、まるで、近くに主イエスやマリア様が降臨なされているように感じる。是非、たくさんの人に、その歌声を聞かせてあげて下さい。」

神父は、その日のことを手紙に書いて、ヴァチカンに送りました。

偶然にも、その手紙は、ローマ法王の目にとまりました。

女はヴァチカンに招待されました。

神父は必要経費をすべて女に渡し、

「是非、ヴァチカンにあなたの歌声を響かせて下さい。あなたに主の導きがありますように。」

と言って、暖かく送り出しました。

女は言われるままに、ヴァチカンに赴きました。

神父の書いてくれた紹介状を見せると、女は、法王との謁見の間に通されました。

たくさんの人が順番を待っています。

世界中から、たくさんの人が法王に謁見するために集まっていたのです。

女の順番は、ずっと後のように思われましたが、係の者が女を呼びに来ました。

女は内心ドキドキしながら、謁見の間に入りました。

そこには、大勢の神父にかしづかれた法王がいました。

法王は、にこやかに女を迎えました。

女は法王に会った緊張感で我を忘れました。
そして、求められるままに、歌を歌いました。
法王は、だまって聞いていましたが、目には涙がたまっていました。

歌い終わると、法王は、女を呼び寄せて、ハグをしました。
まわりの者はみな、びっくりしました。
法王が謁見した相手にハグするのは、極めて異例なことでした。

「あなたの歌声が世界中の人に届くように、私も祈っていますよ。」

法王は、そう言って、
女をやさしく送り出しました。

ヴァチカンから帰ってから、女は、
自分の得意な歌で、世のため、人のために働くことができるのではないかと考えるようになりました。

そして、自分の歌声を無料の音楽サイトにアップしてみたのです。

すると、驚くべきことが起こりました。

女の歌を聞いた人の数が一万人を越えたのです。

女はわが目を疑いましたが、数多くの感想がアップされているのを見て、これは本当のことなんだと納得しました。

女は、生まれ故郷の日本でツアーをしたいと思うようになりました。
そして、facebookで知り合った人たちに声をかけ、自分のライブを主催してくれないかと、呼びかけました。
すると、会ったこともない、facebook で知り合った人たちが、次々と名乗りをあげてくれました。

「私はfacebook であなたと知り合い、あなたの歌に感動した。だから、是非、あなたの歌をたくさんの方に聞いてほしい!」

みな、口々にそう言うのでした。

日本ツアーが実現した女は、早くも次の目標、世界公演に向けて、夢をふくらませるのでした。

あなかしこ。




どうでしたか?
え?
わらしべが出てこないじゃないかって?
いえいえ、ちゃあんと出て来ましたよ。
女にとってのわらしべとは、決して減らないもの、なくならないものだったんですね。
それは、なんだかわかりますか?

それは、女のハートに宿る愛と、
女の歌声だったのです。

わらしべ長者は、物々交換のお話ですが、
スピリチュアルなわらしべ長者は、愛と愛を交換するのです。

女の愛は、歌声で表現されますが、それを聞いた人の愛は、その人にできることで表現されていました。

自宅に招いて、食事を振る舞う。

知り合いに紹介する。

必要なものを与える。

ハグをする。

ライブを主催する。

形は違えど、みな、愛を表現しているのです。

愛のよいところは、
与えても、
与えても、
決して減らないこと。
むしろ、増えていくのです。

女にとって、歌は神様に与えられた才能であり、個性なんですね。

誰にだって、個性があります。
その個性に応じて、愛を表現すればよい。
みんなが歌うたいである必要はありません。

歌を歌う人がいて、
聞く人がいる。

ライブを主催する人がいて、
必要なお金を負担してくれる人がいる。

個性に応じて役割を分担すれば、
やがて、それは、大きな愛に発展していくのです。

    よっくるo(^▽^)o

 

2021.4