【十年一昔】 


十年一昔(じゅうねんひとむかし)というが、


まったくその通りだよね。


人生をそれぞれのステージで分けるとすると、


十年で区切るのがいいのかもしれない。


いま、五十五歳やけど、


五十歳までの十年は、十代、二十代、三十代、四十代に区切られる。(最初の十年は子供時代なので、対象外)


十代の自分は、悩み多き思春期時代。


神理に出会ったのは、十代の終わり頃。


それまでは、もっぱら闇の中、孤独にさいなまれながら、生きていた。


人は闇の中で光を探し求める。


探せば、見つかる。


求めれば、与えられる。


何もせず、引きこもっていたら、何も与えられなかったかもしれない。


神理に導かれるきっかけとなったのは、実は漫画だった。


ま、その話は長くなるので、おいておく。


二十代の自分は、社会に帆をあげて出奔したものの、折り合いがつかず、もんもんとした時代。


社会的に無力であり、であるがゆえに、学びの時代でもあった。


会社では仕事のできない人として、悶々としながら、


私生活では、読書を友とした。


あの頃に読み漁ったニューエイジ系の本が、私のスピリチュアルな価値観のもとになっていると言っても過言ではない。


スピリチュアルな価値観は、宗教団体の専売特許ではない。


人類が分かち合うべき智慧の宝庫。


それを狂信的な宗教団体(オウム真理教とかね)が跳梁跋扈したために、宗教イコール怪しいものというレッテルが貼られてしまった。


団体に属するのが苦手な私は、特定の団体には所属せず、いろいろな教えを本から学んだ。


その意味で、本というのは偉大だし、ありがたかった。


本を通して人生の師に学んでいた。



だが、私の二十代の終わりに阪神大震災が起きた。


それまで信じていたものが根底から覆される思いを味わった。


私の住んでた町の駅ビルが倒壊し、阪神高速の一本足の太い柱が横倒しになり、火災により大きな被害が出た。


大阪にある会社に出社したら、みな平然と仕事をしているのに、唖然とした。


このままでは、やはりいけないんだ。


そんな風に感じた、切実に。


ボランティア活動ひとつできない自分を恥じた。



三十代の自分は、東京に生活の拠点を写し、結婚もし、新たな人生の門出を切っていた。


そんな時に、第二の激震となる9.11 ニューヨークでの航空機によるテロに遭遇する。


テレビで見た、映画のような光景に息を呑み、その後、世界がテロとの戦争を容認する方向に向かうなかで、私の心はNOと叫び続けていた。


世界がおかしくなっていることを再認識させられた。


このままではいけない。


家庭や、仕事ももちろん大事。


だが、それも、世界が平和であればこそ。


平和な世界を将来に残すために、自分に何ができるだろう?


いや、何もできない。


私は、自分の無力感になすすべを知らなかった。


それが私の三十代だった。


四十代のはじめ、私の人生の舵は大きく切られることになる。


世界を支配する闇の勢力の存在を認識するようになった。


やはり9.11のテロのあとぐらいから、闇の勢力は、自らを隠そうとしなくなったように思われる。


いろんな情報が意図的にか、リークされ、私たちの知るところとなった。


本から得た知識ではあるが、私には納得できるものがあった。


でも、闇のことを知るほどに、自分の無力感も高まった。


どうしよう。


どうすればいい?



もしそのままだったら、私は思考停止していただろう。


その壁をこえて、今、私は、ここにいる。


四十にして、立つ


と言われるように。


実際には四十五にして、


作家  谷よっくる  


としての道を歩み始めた。


あれから十年。


自分の個性を使って、


自分のやれることをやる。


その方向性が、


地球を愛の星にするという


大きな方向性にかなっていれば、


多少、失敗しても大丈夫。


何も恐れることはない。


そう、自分に言い聞かせながら、


やっている。


ウルトラマンや、スーパーマンにはなれないけれど、


谷 よっくるになら、なれる。



皆様、


今年も谷 よっくるを


よろしくお願いいたします!



谷 よっくる拝