終戦記念日は過去の戦争を振り返る日。

正確には、大東亜戦争敗戦決定の日。

日本がポツダム宣言を受け入れ、

アメリカを中心とする連合国に無条件降伏した日。

これで戦争が終わった。

日本は負けた。

となる。

思えば、幕末に開国して以来、列強による植民地支配に対抗せんと富国強兵、殖産興業と急速に近代化に舵を切った日本丸。

特に軍備増強は防衛のためには死活問題であり、輸出産業で得た富は国民に還元されることなく、武器や軍艦の購入費用に消えていった。

戦前の国民が貧しい暮らしだったのには、そうした時代背景もあった。

しかし日清、日露戦争の勝利は日本国全体の増上慢ともなり、日本は軍国主義の坂道を転げ落ちる。

その行き着く先が第二次世界大戦であり、

日本はナチスドイツ、イタリアと組み、英米仏を中心とした連合国と対峙する。

連合国の英米蘭は東南アジアで植民地支配をしており、現地人は安い労働力として搾取され、苦しい生活を強いられていた。

日本が開戦した際の大義名分は、東南アジアの植民地を解放すること。

八紘一宇とは、すべての民族がひとつの家の家族としてなかよく暮らすこと。

日本神話にもある大調和の理念。

大調和を旨とする国、それが大和(ヤマト)。

ちなみにその理念は今も変わらない。

日本を守り続けてきた八百万の神々の想いなのです。(とわたしは思う)

そのことをわすれてしまった今の日本人。

だが、日本人のDNAには刻まれているはず。

東京五輪を令和の時代になかば強引に開催したのも、これからの日本の果たす役割を思い出すというねらいもあったのではないか。

まだまだこれから。

日本の果たすべき使命を全うしたなら、

戦争で犠牲になった御霊たちも浮かばれよう。


すでに天に帰られて、また日本に生まれし魂も多いと聞く。

地上に迷いし魂たちには天に帰られるよう

天使たち、八百万の神々にお願いするとともに、

そのために地上でなすべきことあれば、我が身を使っていただきたいと思うものなり。


よっくる