本日の終戦記念日は、
あくまでも日本にとってのもので、
国によって終戦記念日は異なる。
日本の敗戦は人類史上、例を見ないものだった。
そこには当時の時代がどういう時代だったかが映されている。
大東亜戦争は日本にとっては欧米列強による植民地支配からアジア諸国を解放するという大義名分があった。
そしてそれは達成され、東南アジア諸国からは感謝されている。
一方で日中戦争は泥沼化し、日本が中国本土に開いた満州国は崩壊した。
中国にとっては日本こそが征服者であった。
欧州より一歩進化していたアメリカとの戦いは熾烈を極めたが、黄色人種差別の価値観にもとづく空襲や原爆といった大量殺戮が行われ、日本は敗北した。
これにより日本は疲弊したが、アメリカも大きなカルマを背負ってしまった。
特に二度にわたる原子爆弾の投下は、大がかりな人体実験の意味合いもあったらしい。
これらは人類が持ってはいけない兵器を持ってしまったことを全世界に知らしめた。
その被害の大きさが世界に知れ渡ったことが核兵器の使用を抑止している。
核戦争は、一度始まれば、お互いの国を焦土と化すまで終わらない。
そこにはもはや人間のコントロールできない、コンピュータゲームのような世界が待っている。
人類が核エネルギーを平和でなく、戦争に使ったことは大きな悲しみだ。
だが、核戦争でなくても、人類の歴史は戦争とともにあった。
戦争を起こす原因を絶たない限り、核戦争による人類滅亡のシナリオはなくならない。
人類が持つ大きな大きな闇。
それが大きなカルマを人類に背負わせている。
天変地異はその反作用として起こっている。
疫病もまたしかり。
人類はそれを斬るための刃を持つことができるのだろうか。
それが問われる時代はすでに始まっている。
今の人類に必要なのは二極化することではない。
愛に生きることだ。
そう信じている。
よっくる@愛ひとつ