【自殺について思うこと】

この夏の終わりに、自殺者が前年比で増加したとのニュースに少なからずショックを覚えた。

いい加減なことは言えないので、まずはネットで情報を確認頂きたい。


この記事の分析では、コロナ禍による在宅時間の増加による精神的ストレスは大きいと推察される。

私は孤独癖があり、部屋に一人でいても苦痛を感じないが、社交的な人は、外に出たくても出れない状況は、確かに辛いだろう。

芸能人の自殺が増えてるのも、そのあたりに原因の一端があるように思う。

自殺をなくすにはどうすればよいのだろう。

生活が自然と隔離され、都会でさまざまなストレスにさらされる暮らしは、自殺者を生み出す社会の欠陥を示している。

戦前の方が自殺者は少なかった。
自殺の原因の多くは、心の問題である。

心が頼るべきものはなんだろうか。

お金や地位や名誉か。

それならば、有名人が自殺することはないだろう。

はた目には成功者にしか見えない人が人生をあきらめる。
なぜなのかわからない。
そう思う人は多いが、自死を選択する人が抱える心の悩みは、本人にしかわからぬもの。

そうした心の問題を解決する処方箋のひとつに宗教があるが、本来は心の教えを示すことで、人びとを救済すべき宗教が、オウム真理教の悪影響もあり、新興宗教は特に一般人から毛嫌いされる傾向にあり、人びとが宗教に頼ろうとしなくなった。
これもまた、心の悩みを抱える人に用意された救済の道が閉ざされたことにもなっている。

個人的には、自殺はよくないと思っている。

なぜよくないかは、自分の魂が認めていないからだ。

この世の人生をまっとうせよ。

使命を果たせ。

途中で使命を放棄するな。

自分に負けるな。

がんばれ、お前ならやれる!

自分の守護霊は、そうやって、自分を励ましてくれている。

それは、誰であってもそうなのだが、

人には霊は見えないから、気づかないだけだ。

もちろん、私にも見えないが、見えぬものを信じることはできる。

信心とは、そういうものだ。

素朴な心のあり方と言ってもいいだろう。

人が自死を思いとどまるかどうかは、その人ごとに答えは違うのだろう。

つまらない話かもしれないが、私が学生時代に
心が病んでいて、病院にこそ行かなかったが、人付き合いが下手で、生きる意味がわからなかった時に、私を救ってくれたのは、漫画やアニメだった。

特に高橋留美子の『うる星やつら』は、心のバイブルのように、読めば、元気をもらえた。

高校時代にアニメが放映されていて、それを見るために生きていたようなところがある。

そういう意味では、漫画やアニメがストップ自殺にひと役買っているところはあるように思う。

だが、それでも、自殺者は多い。

年間、数万人も自殺者が出る社会って、なんだろうか。

にわかには信じられない数字だ。

ぴんとこない。

だが、日本に住む人のうち、私が知っている人など、ごくわずかであり、ブラウン管を通して知っている人は、知人ですらない。

知人に限定すれば、自殺した人はそんなにいるわけではない。私が知らないだけかもしれないが。

有名人の自死は、世の中に自殺者が多いことを知らせてくれているのかもしれない。

どうか、死なないでほしい。

自分の人生をまっとうしてほしい。

自死は逃げでしかないのだ。

逃げた先には天国などは待っていない。

自死を選択した時のまま、心が止まってしまう。

闇の中に閉じ込められる。

それが、自死というものだ。