【貴族と病多き姫の物語】
時は平安時代。ところは京都。
朝廷に宮仕えする若い貴族がいました。
彼は美しい顔立ちとやさしい心の持ち主でした。
彼は数多くの女性と付き合っていましたが、一人一人の心に寄り添うように付き合い、大切にしていました。
そんな彼の友人の娘に、病気がちな姫がいました。
ほとんど寝たきりで、いつも元気がありません。
「あれは長く生きられないだろう」と友人はため息ばかりついていました。
彼はその姫のことが気になって、友人の家に遊びに行くと、必ず姫にも会いに行きました。
彼は姫を病人扱いせず、普通に姫と接しました。
いろんなお話をしたり、横笛を吹いたりしました。
(彼は横笛の名手でした)
姫も彼が来るのをいつも楽しみにしていました。
姫は彼がやって来ると、とても元気になりました。友人も驚くほどでした。
でも、あるとき、流行り病にかかり、姫は容体が悪くなり、起きられなくなってしまいました。
彼は姫をなぐさめようと、友人の家で歌会を催しました。
歌を詠んだり、笛や太鼓などの楽器を奏でたり、踊ったりして、楽しくにぎやかに過ごしました。
姫が楽しんでくれたか気になって、彼は姫の部屋を訪ねました。
でも、よびかけても返事がありません。
胸騒ぎがした彼は御簾を上げて、姫の近くに行きました。
姫は幸せそうな微笑みを浮かべて眠っていました。
彼は安心して出ていきましたが、姫の眼は二度と開かれることはありませんでした。
すでに事切れていたのでした。
その年の流行り病で、都でもたくさんの人が死にました。
彼が姫の死を知ったのは、しばらくしてからでした。
彼は、人の命のはかなさを悲しみながら、笛を吹きました。
すると、一羽の小鳥がやって来て、彼の笛を聞いていました。
彼は、姫が小鳥に姿を変えて、
「私はここにいるよ。また、あなたの笛を聞かせてね」
と言っているように思えてなりませんでした。
彼は涙を流しながら、姫のために、多くの亡くなった人々のために、笛を吹き続けました。
その音色は聞く人の心に切々と響き、誰もが涙を流して、その笛の音に聞き入りました。
笛を吹き終わると、彼は、小鳥に話しかけました。
「姫、いかがでしたか?
私もいずれ死んで、あなたのいる世界へ行くことでしょう。
死は一時の別れですが、永遠ではありません。
でも、しばらくは会えませんから、もし、私の笛を聞きたいと思ったら、いつでもいらっしゃい。
私は喜んでお相手しますよ。」
小鳥はうれしそうにさえずりながら、どこかへ飛んでいってしまいました。
彼はその後、笛を吹くたびに、姫のことを思い出しました。
そして、時々、あの小鳥を見かけました。
小鳥は彼に、姫がどこかの世界に生きていることを知らせてくれるメッセンジャーでした。
彼は姫の存在を近くに感じながら、笛を吹き続けました。
姫が亡くなってからも、流行り病はとどまりませんでした。
都では多くの人々が亡くなっていきました。
地方でも飢饉でたくさんの人が飢えて死んでいきました。
まさにこの世の終わりを思わせる惨状でした。
彼は、街中を回っては、亡くなった方を弔うために笛を吹いていました。
しかし、疫病の被害はついに彼の回りにも押し寄せました。
彼の妻だった女性が死に、彼の両親も亡くなりました。
彼は天涯孤独の身になってしまいました。
彼は笛を吹き続けましたが、心の中には冷たいすきま風が吹くのでした。
この世に生きる意味はなんだろう。
親しい人は死に、私が生きる意味もなくなったようだ。
私は誰のために生きているのか。
人のために生きられないなら、私が生きる意味などないのではないか?
そのように考えてしまうのでした。
しかし、そんな彼も、ついに流行り病にかかってしまいました。
ようやく自分も死ねる。
彼は内心喜びましたが、病気で衰弱するにつれて、だんだん不安になりました。
死ねば行くというあの世とはどんなところだろうか。
死というのは、どれほどの苦しみをともなうのだろう。
彼はだんだん死に恐れを抱くようになりました。
今まで私は、数多くの友を見送ってきたが、彼らの苦しみを本当には、わかっていな
かったのだなあ。
あの病気がちだった姫も、毎日このように苦しんでいたのだろうか。
私は姫を見舞って、いいことをしたような気になっていたが、それは私の一人よがり
だったのかもしれない。
すまない。姫。
私は本当の意味であなたの心に寄り添うことはできていなかったよ。
そう思って、彼ははらはらと涙を流すのでした。
ある夜、そんな彼の夢枕に、あの病気がちな姫が現れました。
姫は彼に告げました。
「お久しぶりです。私はあなたをお迎えに上がりました。」
彼は姫に言いました。
「お久しぶりです、姫。私を迎えに来てくださるとは光栄です。そちらへ行っても私
を覚えていて下さったのですね」
姫は、
「ええ、こちらに戻りましてからも、あなた様との楽しい思い出は片時も忘れたこと
はございません。あなたがもうすぐお亡くなりになると聞きまして、こうしてあなた
をお迎えにあがった次第です。」
と答えました。
「私はてっきり私の妻か、両親がやって来るものと思っていましたが」
と、彼は言いました。
「亡くなったばかりの方には、このようなお役は難しいのです。特にその方がこちら
の世界のことを知らずに亡くなった場合、まず、自分が死んだという事実を受け入れ
るのに時間がかかります。あなたの奥さまもご両親も、まだ死んでから日が浅く、ご
自分が死んだことを受け入れておられないので、今回のお役目にあたることはかなわ
なかったのです」
と姫は言いました。
「なるほど。確かに私と違って現実的な方々だったからなあ。私はよく現実から目を
背けすぎだと怒られていたものです。ただ、今となっては、それも懐かしい思い出だ
が。」
と、彼はさびしそうに言いました。
姫は彼をなぐさめるように、
「あなたは私に死んでからの世界のことを教えて下さいました。私にそんなお話をし
て下さるのは、徳の高いお坊様か、あなたくらいしかいませんでしたが、おかげで私
は自分の死を素直に受け入れることができました。あの宴のさなかに私は息を引き取
りましたが、あなたの笛の音はずっと聞こえていました。私が死の瞬間を意識しな
かったくらい、私の死はおだやかなものでした。」
と言いました。
彼は少し驚いて、
「そうでしたか。あなたのお役に立てたようで、本当によかった。」
と、うれしそうに言いました。
「私のように、死を迎える準備があらかじめできていると、死んでから後のことがと
ても順調に進むようです。私は死後に出会った、私を指導して下さる方のお話をとて
も素直に受け入れることができました。病がちで、ものにあまり執着しない性格だっ
たこともよかったかもしれません。」
と姫は言いました。
「そうですか。それはよかった。姫のお話を聞いて、私も死への恐怖がやわらいでき
ました。ありがとう。」
彼はそう言うと、目を閉じました。
彼の脳裏に今までの人生が走馬灯のように浮かんでは消えていきます。
楽しかったこと、悲しかったこと、苦しかったこと。
すべてがいとおしく思えてきました。
「浮き世と言われるこの世の中で生かされてきたが、今となってはすべてがありがた
く、いとおしい。この世にお別れするのはさびしいが、やり残したこともないよう
だ。この人生、なかなかのものだったな。」
そう言う彼の手を、姫がやさしく握ると、二人はふわりふわりと空に昇り始めまし
た。
「ああ、今、私は肉体から抜け出たようだ。私は今、自由だ。魂とはこんなにも自由
なものだったのか!私はなんと重い体の中に閉じ込められていたのだろう!」
「そうでしょう?死は自然に任せていれば、それほどこわいことではないのです。」
自由になった私は、姫の手をとり、二人で踊りながら、天の階段を昇っていった。
死は終わりではない。
新たな生の始まりなのだ。
終わり