(絵 益田あゆみ)



【龍子】


我は龍。

物心つきてより、この沼にて暮らしている。

いつから、この沼にいるのか、定かではない。

遠い遠い昔からいるような気がしている。

我は時々、たわむれに人間の姿になり、あたりをさまよう。

我の沼からひと山越えたところに、人間の集落がある。

たまに、人間に接することで、退屈しのぎをするのだ。

我とちがい、人間はすぐに死ぬ。

このことは、今まで多少交流のあった人間たちを見てきて、嫌というほど、思い知った。

まるで、我が感じる一日が、彼らにとっては一年であるかのように、彼らはすぐに年をとり、子をなし、そして、死んでいった。

我は龍。

人間がどうなろうと、あまり関心はない。

しかし、多少でも、付き合うと、情が移るというのか、我の心にも、さざなみは立つ。

人間に感化されるのかもしれないが、そこが彼らと付き合う楽しみであるかもしれぬ。

その日、我は人間の少年の姿になり、沼のほとりにいた。

この姿で、風のように走ると、人間は驚き、あわてる。

人外のものを見たような目を我に投げかける。

実際、我は人間にあらず、龍。

さすがに人間の姿で空を飛ぶことはしないが。

その日も、そういう軽い気持ちで、少年の姿となり、沼のあたりをうろうろしていた。

すると、近くの草むらからカサカサと、物音がして、小さな少女がヨロヨロと現れた。

何者であろうか。

我が近くに寄っていくと、少女は恐れるでもなく、我の方を見て、やつれた顔でニッコリ笑った。

そして、バタンと前に倒れると、そのまま動かなくなった。

我はつま先で少女の背中を小突いてみたが、ピクリともしない。

ははあ、さては沼に捨てられたな。

人間は、飢饉になると、食い扶持を減らすため、人を山に捨てる。

たいていは老い先短い老人か、小さな子供たちが捨てられる。

老人は我が子のためにその運命を受け入れる。

だが、子供たちは哀れだ。

人間には無関心な私でさえ、そう思う。

やはり、この地に生を受けて間もない命は、守る。

これは、生きるものすべてに共通する本能。

我は、捨て子の少女をこのままにはしておけず、背中におぶって、歩き始めた。

少女の命を救うには、いったいどうすれば…。

少女の体はやせ細り、とても軽かった。

そして、とても冷たかった。

まず、体をあたためよう。

我は、沼のほとりにある、以前、人が住んでいた小屋に少女を連れて行き、その粗末な床に少女
の身を横たえた。

そして、枯れ木を集めると、小屋の真ん中にある囲炉裏に火をつけた。

あとは水と食べ物。

龍は不死の身体を持ち、何も食べなくても困らないが、人間は毎日、何かを食べたり飲んだりし
て、生きながらえる、実に不便な生き物。

まあ、動物はみなそういう風にできているので、もし、創造主というものがいるとすれば、そのように創ったのだろう。

我は少女に食べさせるため、沼に入り、魚をとった。

そして、山の湧き水を汲んできた。

無造作に、火の中に魚を投げ入れると、少女にどうやって水を与えるか考えた。

口を無理やり手でこじ開け、水を垂らしてみたが、むせて飲もうとしない。

だが、まだ生きているということがわかり、ホッとした。

我は少し面倒になり、水を口に含むと、少女に口移しで与えた。

その際に、龍の精気を吹き込むことも忘れなかった。

少女は、少しであるが、水を飲み、息を吹き返した。

そして、うつろな目で我を見上げ、弱々しくニッコリ笑った。

人間の微笑みというものは、なかなかよいものだ。

楽しげに笑うのをながめるのは嫌いではない。

なんとなく落ち着くのだ。

我自身が笑うことはまずないが、人間とは表情が豊かな生き物だ。

この少女のように、死の瀬戸際に立っているものが笑うなど、考えが及ばないことだ。

きっと苦しいだろうに、少女は我を見て笑う。

これはどうしたことであろうか。

我はそうやって、少しずつ、少女に水を与えた。

少女のカラカラに乾いた唇に赤みがさし、目には生気が戻ってきた。

少女はガリガリの痩せっぽちだったが、その目は大きく、瞳は輝いていた。

魚を噛んで、咀嚼したものを少女の口に運ぶと、少女は努力して、それを飲み込んだ。

生への執念、というか、生きたい!という熱い思いが少女の全身から感じられた。

人間はすぐに死ぬ。

これは我が諦観をもって人間観察をしてきた結果、わかったことだ。

だが、生きている限りにおいて、人間は必死に生きようとする。

このような年端のいかない少女でさえも。

そこに、人間の不思議さ、奥深さがある。

我は長い時間をかけて、わずかな水と魚を少女に与え続けた。

我ながら、よくやる。

そう思ったが、少女が食べること、飲むことをあきらめない限り、それを続けなければならなかった。

それは、生をかけた、少女と我の真剣勝負だった。

我はそんな少女とのたわむれを楽しんでもいた。

無論、少女には楽しむ余裕などなく、生き延びるために必死だ。

だが、少女が我に向ける笑顔と感謝の気持ちは、我に伝わってきた。

・・・

そうやって一週間ほど過ごしたのち。

少女は立って、動き回ることができるまでに回復した。

そうなると、我は、少年の姿のまま、少女と野山を駆け回ってみたくなった。

我は少女の手を引いて、冒険の旅に出た。

最初は少女の歩幅に合わせて歩いていたが、だんだん面倒になって、少女を背中にしょって、一目散に走り出した。

神速の速さで野山を駆け抜ける我の背中で、少女は何を思い、感じていただろう。

ただただ、落とされぬよう、我にぎゅっと必死につかまり、一言も発しなかった。

ずいぶん遠くの湖までたどり着くと、我は少女を下ろした。

少女に「怖かったか?」と尋ねると、少女は最初、かぶりをふっていたが、我がじっと少女の瞳を見つめると、恥ずかしげに、こくん、とうなずいた。

ふと気づけば、あたりは一面のお花畑。

美しい大小とりどりの花が咲き乱れていた。

少女と我は大の字になり、花畑に寝そべった。

我らの間に、言葉はなかった。

あたたかな太陽の日差しと、少女の鼓動、遠くから聞こえる鳥の声。

それが、この世界のすべてだった。

我は、こういうのも悪くない、と思った。

そう、沼の底で一人じっとしているよりは、
いく分、心が安らぐ。

だが、それもほんのいっときのこと。

他の人間たち同様に、この少女もまた、すぐに大人になり、
子を宿し、育て、そして、死ぬのだろう。

人間はすぐに死ぬ、むなしい存在。

あまり肩入れせぬことだ。

我とちがい、いずれ年老いて、死ぬのだから。
我は、少女が花かんむりを作り、嬉しそうに我にかぶせるのを見ながら、なんとも言えぬ思いに
かられた。

この者が我と同じ、永遠の命を宿す者であったなら。

そう思わずにはいられなかった。

だが、別れは、あっけなく訪れた。

少女は、流行り病にかかり、高熱を発した。

そして、我がなすすべなく見守るのをながめながら、ひっそりと息絶えた。

少女は最後に我の手を握りしめると、


「あ・り・が・と」


と、つぶやき、静かに事切れた。

ああ、まただ。

人間はすぐに死ぬ。

そう知っていたのに。

だから、関わらぬようにしていたのに。

また、関わってしまった。

しかも、こんなに早くの別れ。

ほんの少し前に、出会ったばかりだというのに。

もっともっと、そばにおいておきたかった。

少女が大きくなるのを見たかった。

少女の笑い顔や泣き顔を見たかった。

そして、美しく成長するさまをながめていたかった。

ただ、それだけの望みさえ、

かなわないというのか!

我は言いようのない怒りにかられ、

少女の骸を抱き上げると、疾風のように駆けだした。

しばらく駆けているうちに、我の体は黒き龍に変化し、少女の亡骸を口にくわえ、飛翔した。

少女の冷たい体には何も宿っておらぬ!

そう感じると、我は少女の体を一飲みにし、空を駆けた。

我が体の一部となり、とこしえに生きよ。

そう、心に念じながら、

我はひとりさびしく空を行くのだった。




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