【巴の愛】

巴は幼少の頃より活発で、
野山を駆け回る少女だった。
その男勝りな性格は、
成長しても変わることなく、
男子に混じり、力仕事をし、
武芸にたしなみ、馬を乗りこなした。
義仲の挙兵に合わせ、側女にと乞われて
従軍し、気性が合い、恋仲となり、
義仲の妾となった。
しかし、女として、振る舞うのをよしとせず、
鎧に身を包み、義仲とともに戦場をかけぬけたが、敵に遅れをとることはなく、義仲に屈強な女武者あり、と異名をはせた。

だが、義仲が京に上洛し、増上慢となり、
失敗をかさね、今日の人々の反感を買うようになると、さすがに巴も見かね、木曽に戻るよう進言したが、受け入れられなかった。

そして、義仲は、最後には源頼朝の鎌倉方をも敵に回し、法皇からも見放されて、四面楚歌の状態に陥り、義経軍に討たれたが、死地において、女を道連れにするのは武士の道にあらずと、巴に別れを告げ、巴は泣く泣く戦場をあとにするのだった。

巴は後に、義仲が葬られた墓に庵を結び、義仲の魂の供養に日々を暮らしたが、土地の者には決して名を明かさなかった。
だが、おそらく巴であろうとのうわさとなり、彼女が没してのち、義仲の墓の近くに巴塚と呼ばれる塚が作られ、その存在を歴史にとどめることとなった。

二人は、死して後に、互いに別の世界に輪廻し、再会することがなかったが、地上のご縁により、霊界でも再会が果たされた。
実に八百年ぶりのことであった。

義仲は巴に声をかけて、

「なあ、巴よ。
わしはお前がおなごだからと、
最後の道連れにするに忍びず、
今生の別れを言い渡したが、
あれでよかったのかと
少し悔いているのだ。
中国の武将は戦いに敗れた時、
敵に辱めを受けるよりはと、
妃を斬り、死後の道連れにしたというが、
わしと別れた後のお前の人生の苦労を思うと、
心が苦しくてのう。」

と言った。

すると、巴は、

「一生をともにと誓った殿方には最後まで寄り添い、
必要ならば武器をとって支え、
でも、
殿方の最期には恥をかかせず、
男子の本懐を遂げさせ、
死後はその鎮魂を祈る。
それが、巴の愛でございます。」

きっぱり、そう言うと、義仲に向かい、にっこり笑った。

おしまい