【まほろば物語】 谷よっくる
1. まほろばビーチでの出会い
まほろばビーチは、いつも人でごった返していた。
海の色は青く、透き通っていて、
小魚の泳ぐ姿が上から透けて見えた。
砂浜は白く、よく見れば星型の砂が敷き詰められていて、歩くと、さらさらと音を奏でるのだった。
少年は、毎年、夏になると、まほろばビーチの近くの別荘にやってきた。
お母さんは放任主義らしく、昼間は少年は一人でビーチにやって来て、夕暮れまで浜辺で遊んで帰るのが夏の日課になっていた。
少女は、まほろばビーチの近所に住んでいた。
夏の間、親が海の家で働くのを手伝いに、浜辺に来るのが日課だった。
少年は、お昼をいつも海の家で食べていた。
ある時、ある海の家に立ち寄ると、自分と同じくらいの年の少女がにこやかに給仕しているのが目に入った。
少年は、少女の笑顔に魅せられた。
そして、その海の家に毎日、通うようになった。
少女も、自分と同じくらいの年の少年が来るとうれしいらしく、少しヒマな時は少年のそばに来て、世間話を楽しそうにするのだった。
しゃべるのは、もっぱら少女の方で、少年はだまって聞いているだけだったが、少年は聞き上手だったので、時間さえあれば、少女の話は際限なく続きそうだった。
新しいお客が来て、少女が仕事に戻ると、少年も浜辺に出ていくのだった。
少女は、毎日、短い時間だが、自由時間をもらい、浜辺に泳ぎに出てきた。
少年はそれを心待ちにしていた。
少女も、一人で泳ぐよりは、と、少年を見つけると、二人で楽しく泳いだり、遊んだりした。
ある日、少年は少女に、夜、浜辺で花火をしないかと誘われた。
いつも少女の相手をしてくれる少年を花火に誘うように、少女の親が言ってくれたのだ。
ただし、少年の親の了解をとることが条件だった。
少年はあわてて別荘に戻り、昼寝をしていた母親に花火に招待されたと伝えると、母親は、あまり遅くならないように、とだけ言った。
放任主義の母親だった。
少年は喜び、浜辺に戻ると、少女に親の了解を得たことを伝えた。
少女も喜び、親にその旨を告げた。
そして、海の家の後片づけをしながら、夜になるのを待った。
夕暮れ時になると、気の早い家族連れやカップルが浜辺のそこかしこで花火を始めた。
少年は、それを少しうらやましそうな顔で見ていた。
少女はそんな少年の様子が気になって、
「お母さんは来ないの?」
と尋ねた。
少年は、
「うん、母さんは何かと忙しいんだ」
と、ソファーに寝そべりながら、テレビを見ている母の姿を思い浮かべながら、言った。
「そう。」
それたけ言って、少女は口をつぐんだ。
やがて、少女の両親が浜辺に出てきて、みんなで花火を楽しんだ。
2. イルカとカメ
ある日、ちょっとした事件が起こった。
その日、少女はお昼の忙しさが一段落してからずっと、少年と海で遊んでいた。
めずらしく、午後はずっと遊んでよいとの許しを親からもらったのだ。
花火の時に少しさびしそうにしている少年を見て、少女の親が気を利かせたのだった。
二人はビニールのボートをふくらませて、それにしがみついて、沖の方に泳いでいった。
ちょっとした冒険心だった。
しかし、引き潮の時間になると、二人のボートはどんどん沖に流されていった。
様子がおかしいと気づいた二人は、必死に浜辺の方に戻ろうと、足をバタバタさせたが、浜辺は遠ざかるばかり。
二人は初めて海のこわさに気づくのだった。
もし、サメが現れたら、どうしよう。食べられちゃう!
いや、サメが現れなくても、ボートの空気が抜けてきたら、溺れちゃう!
二人の頭の中に、よくない想像がぐるぐるめぐり、二人はこわくなり、口を閉ざした。
不安を口にすれば、現実になってしまう。
そんな思いが二人を黙らせるのだった。
だいぶ沖に流された頃、少年の足に硬いものがカツンと当たる感触がした。
なんだろう、流木かな?
そう思い、足の方を恐る恐る見やった少年の目に、海にプカプカうかぶ石が映った。
「石が浮かんでる!」
少年が思わず大声をあげると、少しぐったりしていた少女も、少年の足元に目をやった。
そして、少し元気を取り戻して、
「亀よ、亀、亀!」
と言った。
亀は二人に気づいてもらえたことがうれしいのか、二人のボートのまわりをスーイスイと回遊するのだった。
「亀の背に乗れば、もしかしたら浜辺まで連れていってくれるかな?」
少年が言うと、少女は、
「でも、二人でしがみつくには、亀の甲羅は小さすぎない?」
と冷静に言った。
「うん、そうだね…」
と少年は残念そうに言った。
このまま流され続けたら、母さんは心配するだろうか。
さすがにびっくりして、僕のこと探して、あちこち動き回るかもしれないな。
母親が、この子の両親に怒鳴り込んだりしたら、どうしよう。
…まあ、死んじゃえば、そんなこと、どうでもよくなっちゃうけど。
などと、少年は、妄想をめぐらせるのだった。
少女は、真剣な顔をして、いろいろ考えていたようだったが、意を決したように、
「ねえ、このままだと、いつかボートの空気が抜けて、二人とも海の底よ。船が通りかかれば助かるかもしれないけど、もうすぐ夜になるから、そしたら、夜のうちに私たちを見つけるのは無理よね。
どっちが生き残れる確率が高いか考えると、私はどちらかが亀の背に乗って、浜辺を目指す方がよいと思うの。
あなたの意見を聞かせてくれる?」
少女の大胆な提案に少年は驚いた。
そして、
「ごめん、僕、わかんないや。」
と答えた。
少女は、少年の答えに失望したのか、
「そう…」
とだけつぶやいた。
こうなったら、一か八か、自分が亀の背に移って、浜辺を目指すしかないか。
でも、ほんとはこういう時って、男の方がしっかりしてくれないと困っちゃうんだけどな。
少女はそんなことを思いながら、少年の方をながめるのだった。
そうこうしているうちに、亀は二人から離れて、どこかへ泳ぎ去ってしまった。
二人は頼みの援軍に去られたような気がして、がっかりした。
日もだいぶ傾き、のどはカラカラで、体力も消耗していた。
このまま死んじゃうのかな。
言葉には出さないが、二人とも死の予感にとらわれ始めていた。
死という名の刈入れびとの存在をこんなに身近に感じたことはなかった。
今まで、死とはテレビのニュースの出来事くらいにしか思っていなかった。
それがこんな目の前にせまってくるなんて。
二人の心は不安で押しつぶされそうだった。
二人とも、こうなってしまったことを激しく後悔し、もし許されるなら、もっといい子になり、親孝行しますと神様に祈るのだった。
人間は、万策尽きた時、初めて神様に祈るのかもしれない。
二人にできるのは、もはやそれだけだった。
そんな時。海の向こうの方で、何かが飛び跳ねているのが二人の視界に映った。
「あれ、もしかして、イルカじゃない?」
少女の顔がバッと輝いた。
少年は、それがどうしたの、と言いたげな顔をしている。
「イルカなら、私、友達だもの。きっと助けてくれるわ!」
少女の目に生気が宿り、遠くにいるイルカの影を懸命に目で追い始めた。
そして、手を合わせると、なにやら一生懸命にぶつぶつつぶやきながら、祈り始めた。
そうこうしてるうちに、イルカがどんどんこちらに近づいてくるのが見えた。
少女はすっかりうれしくなった。
少年は何が起こるのだろうかと不安になった。
やがて、イルカは至近距離まで近づくと、二人のボートの上をジャンプして、飛び越えてみせた。
そして、二頭のイルカが二人のボートのまわりを回遊し始めた。
「やった!これで助かる、助かるわ!」
そう喜ぶ少女だったが、少年は半信半疑だった。
イルカが僕たちを助けてくれるかなんて、わからないじゃないか。
そう疑う少年だった。
少年の脳裏に、どこかの浜辺に大量に並べられたイルカの死骸が浮かんだ。確か漁の邪魔をするからと、漁師がイルカを退治したニュースだった。
少年は、サメならまだしも、イルカを殺すなんて、と強いショックを受けた。
人間は動物には必ずしもやさしくない。
そんな身勝手な人間を動物が助けてくれるだろうか?
少年はボートのまわりを回っているイルカたちも、すぐにいなくなるんじゃないか、と不安になるのだった。
少女は、イルカのいる方に手を伸ばし、おいでおいでをした。
すると、片方のイルカが少女に近づいてくるではないか!
少年は、少女がイルカになにか魔法をかけたんじゃないかと思った。
でも、ふと気づくと、少年のかたわらにもう片方のイルカが水面から顔を出し、そのつぶらな瞳で少年の目をじっと見ているのに気づいた。
少年はびっくりして、少女の方を見た。
少女は何時の間にか、もうイルカの背に乗り移っていた。
イルカに乗った少女。
まるで水族館のイルカショーを見ているような気分だった。
だが、これはショーではない。
次は自分がイルカに乗る番だ。
少年はイルカの方を見た。
イルカはなんだかうなづいてるようだった。
少年は無我夢中でイルカの背に飛び移ろうとした。
途中、海にはまって、海のしょっぱい水を少し飲んでしまったが、気づくとイルカの背にしがみついていた。
そこからは早かった。
二頭のイルカは背に乗せた少年、少女を振り落とさぬように、でも、まっすぐに浜辺に向かっていった。
しゅううううー。
まっしぐらに、波をかきわけながら進む二頭のイルカ。
少年はもちろん、少女も夢を見ているみたいだった。
やがて、浜辺が見え、ほどなく浅瀬にたどり着くと、イルカのスピードがにぶり、やがて、しずかに止まった。
遠浅の海は、すでに夕暮れに照らされ、キラキラと輝いていた。
二人はイルカから降りて、海の底に足をつけた。
腰までつかる海の浅さに、これなら自力で浜に帰れるとほっと一息ついた。
少年のおしりに硬いものがカツンとあたり、見てみると、先ほどの亀が泳いでいた。
「僕たちを見送ってくれたの?」
少年が声をかけると、亀はゆっくりと踵を返し、沖の方に泳いでいった。
いつの間にか、二頭のイルカも沖の方に行ってしまって、高く高く、かわるがわるにジャンプして見せてくれた。
まるで僕たちにさよならを言ってるように思えて、少年は、涙を流した。
見ると、少女も大粒の涙を流していた。
そして、なんということだろう。
夕日をバックにジャンプしながら沖へと泳ぎ去るイルカたちの美しさ!
まるで一枚の絵を見てるようだった。
少年と少女は、いつのまにか手をつないで、なかよく去っていくつがいのイルカたちを見送るのだった。
少し遅れて、優雅に泳ぎ去る亀の姿も目に見えるようだった。
二人は、海の友達たちが去っていくのをいつまでも見送っていた。
そして、今日のことは、絶対に二人だけの秘密にしようと、約束するのだった。
続く