姫君と武将の物語
第一章
中国のある時代、人々は戦乱にあけくれ、なかなか平和な生活を送ることができなかった。
しかし、ある英雄が現れ、瞬く間に全土を統一していった。
英雄は王となり、地方の部族を統合するために各地を転戦した。
そして地方より美しい女性を都に連れ帰っては、子作りにいそしんだ。
英雄は何人もの男の子、女の子を授かったが、中でも一番のお気に入りの美しい姫君がいた。
見た目も愛らしく、才気にあふれていた。
英雄がかわいがるので、他の者も蝶よ花よとおだてて育てたため、少しわがままな性格になってしまった。
姫君が成人すると、英雄はどこか有力な部族のもとに姫君を嫁がせようと考えた。
しかし、なかなか手元から離す気になれなかった。
そうこうしているうちに、地方で内乱が起き、英雄は地方に遠征することになった。
英雄は信頼のおける武将に留守を託し、出発していった。
しかし、その留守中に賊が宮廷内に押し入り、英雄の大事な姫君を奪って逃げるという事件が起きた。
武将はあわてて賊のあとを追ったが、あまりにあわてていたので、部下がついてこれず、たった一人で賊を追うことになってしまった。
しかし、姫君を連れ去られた以上、その責任は自分にある、この上は自分の命と引き換えにしてでも、姫君を賊から取り戻さなければ、英雄に会わせる顔がない。
武将は英雄が若い頃からの仲間であった。
そして英雄のためならばと、どんな苛酷な戦場でも戦い抜いてきた。
自分にとって主君であり、親友でもある英雄の娘ならば、自分にとっても娘のようなものだった。
来る日も来る日も武将は賊の逃げた痕跡をたどり、やがて砂漠の果ての小さなオアシスに賊の集落を見つけた。
そして夜陰に乗じて、たった一人で強襲をかけ、何人もの敵を打ち倒し、姫君を奪い返すと、脱兎の如く逃げ去った。
それからしばらくは、賊に追われての逃避行が続いた。
姫君を連れての逃避行は一人で逃げるよりも難しいものだったが、武将は常に傍らに姫君を抱きかかえながら、ある時は賊をやりすごし、またある時は撃退した。
姫君もただ武将のあとに必死でついてきた。
ようやく賊の追っ手を振り切ったものの、広い砂漠を越えなければ、都に帰ることはできない。
武将は姫君を馬に乗せ、自分は馬を引いて砂漠をとぼとぼと歩いた。
水や食べ物を手にするのも大変だったが、武将は決して姫君が飢えさせまいと、心を砕いた。
そして、いつしか姫君もそんな武将にやさしい言葉をかけるようになった。
極限の食うや食わずの生活の中、明日をも知れぬ生活の中で、いつしか二人は男と女として結ばれていった。
苦しい旅であったが、二人はお互いのぬくもりを唯一のよりどころとして、なんとか生きながらえた。
そして、ついに味方が二人を発見し、二人は都へと戻ることになった。
迎えが来る前の夜、二人は最後の一夜を過ごした。
武将は姫君に言った。
「明日からはもとの姫様と家臣の関係に戻らなければならない。あなたがさらわれた責任を私はとらされるかもしれないが、私は今までの人生に満足している。悔いは何もない。」
姫君は武将に言った。
「戦国の世に生まれて、私は自分が心から愛する人とめぐりあうことができて、とても幸せです。明日からはこの思い出とともに生きていきましょう。」
二人は自分の運命に抵抗することなく、武将は武将として、姫君は姫君としての生活に戻ったが、二人の逢瀬は人目を避けて続いた。
やがて英雄が都に帰ると、武将は辺境の前線へと行くよう命じられた。
英雄は姫君を見て、大層女らしくなっていることに気づき、二人の仲を怪しんだ。そして二人を引き裂くために武将を都から追い出したのだった。
しかし、ほどなく姫君は妊娠した。
英雄は姫君を詰問したが、姫君は泣き崩れるばかりだった。
姫君の想いの深さを知った英雄は、自分が武将にした仕打ちを恥じ、武将を都に呼び戻した。
そして姫君を武将の妻に降嫁させた。
そして武将を大将軍に取り立てた。
大将軍になった武将は妻と子供を大切にした。そしてますます英雄のために命がけで獅子奮迅の働きをするようになった。
そして英雄は天下統一を成し遂げたのだった。
やがて時が流れ、さすがの大将軍も病には勝てず、永眠した。
第二章
大将軍の魂は体を離れ、霊界へとやってきた。
そしてそこで自分の人生を振り返った。
自分の中に生まれてからの出来事やそのとき自分が感じた感情、さらには自分の相手の感情までもが自分のことのように感じられた。
自分の友である英雄が自分に抱いていた感情もわかったが、それ以上に彼を驚かせたのは彼の妻になった姫君の感情だった。
さて、ここからしばらくは姫君の物語である。武将が知らなかった姫君の心のひだを武将とともに、ご覧頂こう。
***
姫君は賊にさらわれたとき、おのれの運命に絶望した。
もう今までの平和な日々は戻ってこない。
そう思うと悲しくなった。
馬の背に乗せられ、後ろに賊がぴったりくっついて、手綱を握っており、身動きもできなかった。
どれくらい走り続けたのだろうか。
賊の一団は休息をとるために、夜営をした。
簡単なテントが張られ、焚き火がたかれた。
賊は数名で覆面をしていた。
姫君を拉致した賊が覆面をとると、そこには精悍な異民族の顔。
都でも出会ったことのない美丈夫だった。
姫君は自分がさらわれてきたことも忘れ、青年に一目惚れしてしまった。
いや、なんという運命的な出会いだろうか。
都の平和だけれど退屈だった日常から放り出されたが、このような出会いのためであったのなら、すべてを捨ててもよい。
政略結婚で意に添わぬ相手に嫁ぐよりも、どんなに刺激的な人生になるだろう!
姫君は微笑みかけてくる青年に微笑みで返し、そっと頬を赤らめた。
青年も自分が受け入れられたことを知ると、うれしそうに仲間にガッツポーズをしてみせた。
仲間からも歓声が上がった。
それからしばらくは姫君にとって夢のような日々だった。
青年は辺境の部族で言葉も通じなかったが、そのりりしさ、姫君に対するやさしさに姫君はとりこになった。
二人は青年の集落についてからも歓迎された。
そして集落の人々全員が集まって家族的な大宴会が催され、二人は夫婦として認められた。
武将が姫君を取り戻したとき、姫君とともにいた青年は武将によって斬り殺された。愛する青年を殺された姫君は茫然となり、そのまま武将に連れられて、集落を後にした。
姫君は青年を殺した武将を憎み、逃避行中、武将が眠っているすきに何度も武将を殺そうとした。
でも自分を守るためだけに命をはる武将の姿を見ていると、どうしても武将を殺すことはできなかった。
その後、姫君は青年を殺された悲しみと、武将のやさしさとの狭間で苦悩したが、逃避行の極限状態の中で、ある日、武将におのれのすべてを与え、武将のすべてを受け入れることを決めた。
この姫君の心境の変化は、どうしてなのだろうか。
生と死の極限状態におかれた姫君の心から、青年への想いも、武将への憎しみも吹き飛んだとき、姫君は忘我の状態となり、そのとたんに、姫君の心の奥から圧倒的な愛の思いがわきあがってきた。
そしてその想いは武将に対する慈母心となり、武将を包んだ。
このような心境の変化は、通常の精神状態では起こり得ないものだろう。
姫君の真なる心にフタをしていたエゴの想いが極限状態の中で吹き飛ばされたとき、姫君の神の子の神性が花開き、愛の通路となったのであろう。
そう言えば、都に帰ってからの姫君は、誰に対しても暖かく接し、それまでのわがままさは全く見られなくなった。
武将は苦労して姫君も大人になったのだと考えていたが、そんなレベルをはるかに越える変化が姫君の心に起こっていたのだ。
自分はそんな女性を妻にしていたのか。
そう思うと、あまりのありがたさ、もったいなさに武将の眼から涙があふれて止まらなかった。
そして、そう感じると同時に、武将の心に、青年に詫びたいという思いが突然湧き上がってきた。
その次の瞬間、武将の魂は賊の集落のあった場所に飛んでいた。
青年の魂はまだその場所にととまっていた。
武将が青年の魂に語りかけ、許しを乞うと、最初は憎しみの表情を浮かべて赤く輝いていたが、姫君のその後の話を聞かせると、顔に光が差した。
姫君が幸せになったと知った青年は、わがことのように喜び、そして姫君を都から無理やり連れていったことを武将に詫びた。
青年も都に出かけたときに、たまたま姫君の馬車が通りすぎるのを見かけ、あとをつけた。そして馬車から降りた姫君の美しさに魅了され、姫君をさらうことを思いついたのだった。
「今から思えば、強奪などではなく、正々堂々と結婚を申し込みに行くべきでした。強奪などという手段をとったために、私の村の者にまで迷惑をかけてしまった。
今まであなたをうらんでばかりいたが、私の過ちだったことに今、気づきました。これからあの世の世界で反省し、次に生まれるときは、同じ間違いは繰り返さないようにします。」
そう言って青年は光となって、霊界へと上がっていった。
武将もまた霊界へと帰っていった。
武将は思った。
「なんという数奇な運命だろうか。
私が姫を取り戻したい一心で行ったことが、二人の仲を引き裂くことになろうとは。
私は何と言って妻に詫びればよい?
それに、そんな私を許し、私を受け入れてくれたなんて、なんという大きな愛情だろう!
私は妻にいくら感謝してもしたりない。
次に地上に生まれることがあるならば、今度は私が二人をめあわそう。そして二人を守り、応援しよう。」
武将は晴れやかな気分になった。
そして、この人生、実に味わい深いものであったなと、一人満足したのだった。
武将は、英雄が霊界に戻ってきたら、是非とも酒をくみかわしながら、この人生について語り合いたいと、強く思った。
(終)