【ほんとはみんな不死身】
地上に生まれると、
肉体という乗り物に乗って、
魂は人生を旅する。
でも、
いつのまにか、
肉体を自分自身だと思い込み、
その中にとらわれてしまう。
心があることは、
みんな否定しないと思うけど、
心は脳が作り出すもので、
脳が死んだら心もなくなると思ったり、
死んで肉体がなくなったら、
心もなくなるって思ってる人も多いでしょ?
この思い込みはかなり強烈で、
物質的な世界観の中では、
常識としてまかり通ってきた。
ある意味、洗脳されていると言ってもいい状況。
でもね、もう、そんな思い込みから自由になろうよ。
一人ひとりに魂というものがあり、
魂は、
肉体が傷ついたり、
死んだりしても、
無傷で、
ピンピンしてる。
そのことを、
私はまず伝えたかったの、
「小さな妖精サラ」という物語の中でね。
そのことがわかったら、
人生観は、
ひっくり返るでしょ?
みんな、
不死身だとわかったら、
いったい何が起こると思う?
いつでも、
どんなときでも、
魂は、無傷で、
ピンピンしていて、
不死身。
それって、
とてもステキなことでしょ?
みんなが抱えている悩みや問題の多くから、
みんな解放されるでしょ?
例えば、
貧しい人とお金持ちの人がいるとして。
お金持ちの人が、
魂が永遠だと知っていたら、
お金をあくせくして貯めることに
どれだけ意味があるか考えないかしら?
だって、お金は、あの世に持っていけないし。
お金は、この世で生きていくために必要な分だけあればいい。
それにね、目の前にいる貧しい人は、
前世で貧しかった自分かもしれないし、
来世で貧しい自分かもしれない。
そんな自分へのギフトだと思えば、
富を分かち合うことだってできるでしょ?
おばあちゃんがよく言ってた。
「天の蔵に徳を積むのやで」って。
ほんとにその通り。
人のためになることをすれば、
天の銀行にお金がたまって、
いつか利息がついて返ってくるよ。
ウソだと思うなら、試してみてね!
それから、
仲の悪い人がいるとして、
その人とは、
来世でも一緒になるかもしれない。
実際、そうなるのよね~。
神様は、みんな仲良しになってほしいから、
仲の悪い人同士が向き合えるような縁を組む。
そして、
お互いのいいところを認め合えるようになるまで、
何度でも出会わせてくれる。
それにね、
地上では
相手の悪いところばかり見えていても、
天国に行くと、
みんなのいいとこばかりが見えてくる。
だから、
天国では、
みんなすぐ、
なかよしになれちゃうの。
でも、
地上は愛の修行場所だから、
あえて嫌なところばかり目につくようにして、
許す愛の修行をしたりするの。
お互いに許し、
許される関係は素晴らしい。
相手のいたらないところも受け入れる。
認めて、抱きしめる。
それができたら、
戦争なんて起こらないでしょ?
地上のものを奪い合って、
人と人が殺し合う戦争。
そんなことは、
絶対にしてはいけない。
憎しみの連鎖が戦争を生む。
家族や友を殺され、
奪われたら、
人は憎しみの虜になる。
やられたら、
やり返す。
その繰り返しが、
憎しみの連鎖を生む。
でも、それは虚しいこと。
だって、
肉体を奪い、
損なうことができたとしても、
魂は、不死身!
決して傷ついたりしない。
肉体を奪われてもね、
魂の真実を知っていれば、
迷わず天国に帰ってこれる。
だって、
天国は、
魂のふるさとだもの。
この世の世界を旅して、帰る。
魂のホームタウン。
それが天国。
神様は、
すべての人に
永遠の生命を与えた。
これが神様がくれた最高のギフト。
そして、みんなが持ってる宝物。
本人が気づこうと、気づくまいと、
みんな心の中に魂という永遠の生命を持ってるのよ。
そのことに気づくことが、
この世を変えるカギになる。
そのカギに気づいて、
新たな扉を開いたら、
人生は変わる。
新たな自分に出会い、
本当の自分を思い出す。
さあ、みんな。
用意はいい?
新たな自分との出会いに向けて、
まず一歩を踏み出そうよ(^-^)/
スピリット・サラより
(よっくる代筆)