感謝 | yokkoのタナゴコロ

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手話&ピアノ弾き語りシンガーソングライターyokkoの日常☆

先日のおうみ発610に続き、今日はぐるっと関西おひるまえで、yokkoの活動紹介をしていただきました‼






私は父の病室で母と親子三人で放送を観ることができました。
とても嬉しかったです!

今日は、関西圏での放送ということで、滋賀以外の方にも沢山観ていただくことができました。

大学入学をきっかけに大阪へ引っ越し、二年半前までずっと大阪に住んでいました。
事務所に入って本格的に歌手活動を始めたのも大阪、そして常に活動の拠点も大阪に置いていました。

ずっと、ピアノ弾き語りやバックバンドをつけてライブハウスに出演するという活動スタイルでした。

声がでなくなって手話に出逢ったとき、最初は私自身歌に手話をつけようとは考えていませんでした。
でも、湊先生との出逢いがきっかけで、私の手話や音楽、そして人生に対する考え方や視野が大きく広がりました。

そして、まだまだ手話ができるなんていえないけれど、とにかく一曲つけてみることに挑戦しました。

周りの反応は冷たいものが多かったです。

活動を初めて間もない頃から応援してくださっている方にも、
「yokkoちゃんがどこを目指してるのか分からない。」
と言われました。

出演したライブハウスの店長にも、終演後、
「ライブハウスに耳聞こえへん人がいるわけちゃうのに何でつける意味があるん?」
って笑いながら言われました。

とにかく悔しかった。
でも、その悔しさを跳ね返したり馬鹿にする人を跳ね返すだけの気持ちと行動がまだその当時の私にはなかったんだと思います。

すぐに分かってもらえなくてもいい。
だけど、いつか必ず分かってもらえるようにするのは自分自身の行動にかかってるって思いました。

それから数年たち、いろいろな活動を重ねていくうちに、段々認めてくださる方が増えるようになりました。

「yokkoちゃんがどこを目指してるのか分からない。」
と言った方は、突然の病で亡くなってしまいました。
その方が亡くなる三日前、入院されているホスピスでライブをさせていただきました。
その時ももちろん手話で歌いました。

ライブを終えて帰る前に最後に声を振り絞って言ってくださった言葉は、
「yokkoちゃんの想い、伝わってきたよ。応援してるよ。」
でした。

本当に嬉しくて泣きました。

活動拠点を滋賀にうつして、活動場所もライブハウスから講演やイベントになってからは、大阪のファンの方とお会いできる機会もかなり減ってしまいました。

月に何回もライブハウスに足を運んでくださっていた方とも、年に数回や数年に一回しか会えない形が増えました。

それでも、今日の放送をきっかけに沢山の方が連絡をしてくださいました。

私が手話を習い始めたての時に話していた友達や、活動を始めて間もない頃のファンの方や、ピアノの恩師や本当に沢山の方から久しぶりに連絡がきて、みんなそれぞれに私の想いを受け取ったことを自分の言葉で伝えてきてくださいました。

本当に本当に嬉しかったです。

環境や見た目や活動スタイルは変化しているけど、私の芯はずっと変わっていません。
これからもそうです。

どうかこれからも見守って、そして背中を押してやってください。

私もちゃんと自分で歩みを進めていきます。

「yokkoちゃんを応援していてよかった。」
って、何年先もまた言っていただける私でありたいと思っています。
いや、そうであるように努力します。

不器用な私ですが、こうして色んな形で沢山の方に協力していただきながら活動を続けることができています。

本当にありがとうございます。

そして、これからもどうかよろしくお願いいたします!!

心からの感謝を皆様に…


I love youI Love You