今日は希望研修で、看とり学講座というのに参加した。

この講座はマザー・テレサが『人生の99パーセントが不幸でも、最期の1パーセントが幸せなら、その人の人生が幸せなものにかわる。』という、1パーセントのところに少しでも役に立ちたいという思いから始まった講座であった。

私自身、この30年間に祖母、義父、兄、父、夫、義母の順に6人もの身内を見送ってきた。
それぞれに思いがあり、大切な人たちであった。

その中でも、私にとっては兄と夫の死は、私を悲しみの奈落の底まで落とした特別な出来事でもあった。

看とり…手で触れて目でみて命のエネルギーを受け取る、なんて思う余裕はなかった。
半狂乱のように悲しみに明け暮れていた。


しかし、高齢者施設で働き、お年寄りが老衰で亡くなって逝かれるのを目前で見て、初めて死は尊いものだと思えるようになった。



人は魂のエネルギーを受け渡す為に生まれてきた、生と死は繋がっている。
死に逝く人に『大丈夫ですよ』という魔法の言葉を掛けていく、良い言葉、プラスの言葉、心や魂が喜ぶ言葉を、丁寧に丁寧にやさしくゆっくりと掛けていく。

やさしくと自分の耳に言う、やさしくと自分の心に言う、そして3回目にやさしくと自分の魂に言う、と、空気が驚くほど澄んでくる。そして、心静かに祈る。祈りの力は実証されている。等々…

今日講師の先生から聞いたお話…



高齢者の自然死の場合は、家族は悲しみの中にも多少の余裕があり、ゆっくりと流れる時間を寄り添って過ごせるのかも知れない。

家の祖母は元気だったのに風邪を引いて翌朝呆気なく亡くなっていた。

父は肝臓が悪くて入院していたがもうすぐ退院という日に風邪を引き肺炎となり、これまた呆気なく亡くなった。

看とりらしい看とりも出来ないうちにあの世に旅立った。

魂のエネルギーって受け取っていたのかどうかも不明であった。


ただ、ひとつだけ言えることは、今でもずっと私の心の中で消えることはない。


順番からいくと母の看とりの時は、今日の講座が実践できるといいなぁと思う。

最後の1パーセントも大切だけど、今を元気に生きる母にも、やさしく、やさしく、やさしく…となりたい。が、これが中々難しい難問なんだなぁ~。