家も、実家も仏教の真宗でお経さんは正信偈をあげている。
これが少々長いので、覚えが悪い私は専ら般若心経を唱えることにしている。

般若心経を覚えたのは、今から24年前に兄が突然亡くなった時。
4才上のたった一人の兄弟だった。
あの時は、ただ悲しくて泣いていた。半年位、車の運転中や、寝るときに、毎日ひとり泣いていた。
大好きだった兄なので、こんなに悲しい事はないと思うくらい悲しかった。


般若心経の解釈は諸説在るだろう。

この世の中にあるすべての事は 空 であると言っている。

私なりの捉え方は、この世に起こる事は無常である。常では無いのだ。
怒りも悲しみも、喜びも、全ての事を受け止めて、そうして淡々と生きていくこと。

この淡々と…というのが難しい。

主人を亡くして直ぐ、弱った私の心を見透かすように、ある宗教からお誘いがあり、本当にどうしようもない悲しみにくれていた私は、優しい言葉にふらふらと入会してしまった事があった。会費は僅かではあったが、一度だけその宗教団体の合宿のようなものに参加した事がある。他府県の山の頂上付近に壮大な施設が作られていた。
そこで、大きな会場に一同が集まって、ビデオを観賞したり、お経を唱えたりした。お経と言っても、そこで独自に作られたものであった。その後、そこで行われたことに大きな疑問を抱き、脱会した。
その時、弱った心は他力本願では治せないと知った。
時間はかかるが、辛さや悲しみは自分でしっかり受け止め、自分で前を向くしかない。そんな風に思った。

主人が亡くなるまで、般若心経もすっかりご無沙汰となってしまっていたが、また復活している。
もっと深い意味もあるのだろうが、無学な私には長さも良いようだし、リズミカルなお経さんだとも思う。