You can always make new friends, but you can never make old friends. 


50を過ぎると

古い友達は増えることはないので

とても大事に思えるようになる。


なのに最近その古い友人の1人で

ブロックしてしまおうか

と思うほどの人がいて

少々頭を悩ませている。


女性だ。


理由は

私の神経が摩耗するから。

彼女の相手をしているうちに

彼女が

よく言うエナジーモンスターに

変貌してきたのである。


50を過ぎると

大事な友達というのは

毎日長電話する相手ではない。


連絡を取らなくても

お互いしっかりと

人生を歩んでいるだろうと

信頼関係が持てる相手だ。



そして会うのがたとえ

1年ぶりだろうと

5年ぶりだろうと

すぐに会話をresume

することができる。


友達というよりは

同じ女性としての人生を

歩んできた戦友、盟友。


共通点が多いことが仲が良くなる条件

というわけでもなく

自分とは対照的な環境にある人、

自分とは共通点が少ない人だったら

それ故の発見や

刺激を受けたりするので

それはまたそれで

貴重な友人となる。


古い友人

すなわち長く付き合った友人は

作りたくても作ることも出来ない。


年を取るとともに

友達の存在の有り難さ、

貴重さは増すばかりである。


今回彼女は

とてもじゃないが

いい大人とは言えない行動を

とった。


その行動をとる前に

止めようとしたが無駄に終わった。


いい大人とは言えない行動、

なんてこの私が言うのだから

かなりのものだと

思っていただきたい。(笑)



友人が泣けば

肩は貸す。


明日泣いてるのは自分かもしれないし

そうなったらお互い様だからだ。



その彼女は

同じような行動を取るのが

過去1年だけで3回目。


この頻度では

辛辣に言うと学習能力がない。


そのたびに彼女は泣きわめきちらし

とんでもない行動を取る。

そして周囲を心配させる。


彼女の気を変えることなど出来ないし彼女への尊敬があるから

彼女の気を変えようなどとも

思わない。


間違いには

自分で気づいてほしい。

迷惑をかけない。


それが

古い友情の更新のルールである。


この年になったら

心労は少ないに越したことはないので

心労のタネになる様なことは

どんどん切り捨てるようになる。


彼女は

古い友情にも切り捨てられる立場が

あることさえ知らない。


切り捨てられる立場に

自ら進んでいく自分も見えていない。


今回その彼女には

やんわりと

自分の譲れない意見だけを告げた。



以来毎日のように来ていた連絡は

ぱったりと途絶えた。


私の方から

もう同じ話は聞きたくない

というシグナルを送ってしまったのか

彼女が私に腹を立てているのかは

わからない。


ただ、彼女がまたボロボロになってる様が目に浮かぶ。


私に啖呵を切った以上

情けない話になった結果を

話せないでいるのだろうと思う。


助け舟を出すべきか?