今日は、私の過去について書こうと思う。
私はおそらく、4歳くらいには、人格が解離
していたと思う。ある日、近所の子と気が
付いたときには、駅前にいた。本当に気が
ついたらだ。私の記憶の抜け方は、半端で
なかったみたいだ。何も気づかずそのまま
大人になってしまっていた。本当に今まで
生きてこれたなと思う。今になって守護の
存在のおかげだとつくづく思うのだ。
母親に馬乗りになって、殴られ、蹴飛ばされ、
火を顔のまえに持ってこられる映像がはっき
りと脳裏に映る。なのに、怖いとか、悲しい
とか、一切感じないのだ。どうしてそんなふう
なるのか、全くもってわからなかった。
父親は、仕事で何時も帰りが遅かったし、
いつも見て見ぬふりだった。母親が、父親に
言いつけ、私がいつも怒られていた。
身体に対する暴力は、ある程度大きくなった
時点でなくなったが、言葉の暴力は大人に
なってからもずっと続いていた。
母親のサンドバッグだった私は、誰にも助けて
もらえなかった。大人になっても母親の機嫌を
損ねるなと言い続けた父親に助けてもらいたい
とずっと思っていた。
早くこの状況から逃れたかった私は、若くして
結婚をし、子供達を生み育ててきたが、その間
たぶん、4、5人の人格がいたと思う。
子供達が、大きくなって、そのあと、精神科に
通うようになった。解離していることに診断が
ついたのは、通いだして10年くらい経ってから
のことだった。ノートに毎日、日記をつける。
そして、それを毎回、先生に読んでもらった。
感情のコントロールなんて、程遠い状態だった。
荒々しい口調であったり、しっかりとした女性
であったり、かと思えば子供みたいな文章で
あったり、あるときは、なにも書けない時も
あったり。
今にして思えば、これは、全て『わたし』だ。
それを認められていなかった。人格同士喧嘩
していた。それがいけなかっただけのことの
ように思う。
今の私には、どんな私がでてきても、温かく
見守ってくれる夫と、子ども達がいる。
そして何より、私辛かったね、今度は、私が
辛かった私をいい子いい子して守ってあげる。
って思っている。