1人目の天使@2006年 | まるちゃん日記

まるちゃん日記

結婚7年目。
夫婦2人で人生を模索中ヽ( ´ー`)ノ
のんびり、楽しく消しゴムはんこライフ♪

なんだか、やっと落ち着いて書ける気持ちになったので、1人目の子のことを残しておきます。
そして医療従事者へ、流産死産誕生死などのママたちへの配慮を徹底してほしいと強く願います。
私の第1子のちーたんのことと、その当時の病院のこと。


2006年3月、結婚したばかりの私たちのところへやってきてくれた大切な子。
ちーたん。

妊娠検査薬の陽性反応に喜び、3月29日に病院へ。
まだ何も見えないけれど、最終生理日から出産予定は12月と言われる。

このときは本当に、生まれるのが当たり前だと夫婦2人とも思っていて、たまごクラブ買ったりして本当に幸せだったなぁ。

4月に入ってはやくもつわりが。
このときはまだ保育園で働いていて、出勤時の車の運転中何度もおえおえって嗚咽してた。
仕事中は気が張っていて、普通にすごせたしお昼ごはんもまぁまぁ食べられたけど、家に帰ると気が抜けてぐったり。
何も食べられなかった・・・。
そんな中、同僚に「つわり、そんなにひどくないのね。わたしなんてね・・・」と言われ・・・つわりの辛さなんて個人差あるし、他人にはわからないんだし、気持ち悪いのにがんばってるのに、けっこう酷いなって思った。

4月15日、7週。心拍確認。旦那ちゃんも一緒にみてた。
本当にうれしかった。
心拍確認後は、流産率は下がるといわれていたし。
ちーたんの心臓は元気にピコピコ動いていて。
妊娠の経過も、教科書通りっていうか、たまごくらぶの妊娠週数の写真とも同じペースで大きくなってきていたので、安心しきっていた。

4月21日、8週。心拍あり。
ちーたんの姿は、キューピーみたいな形になっていました。
頭と、ちっこい丸い手足がついてて、ほんとかわいかった。

この日、先生は「次は4週間後にきなさい」と言った。

それから、つわりがひどくなる。
ずっと何も食べれない、吐きまくる日が続いていた。
そんな中、10週のある日・・・むしょうに焼肉が食べたくなった。
気づいたら、つわりがなくなってました。
もうつわりってなくなるんだっけ?はやいねぇ。

そのくらいしか思ってなかったけど・・・。

5月18日 11週 微量なピンクの出血があったので通院。
心音が聴けるはずとのことで、お腹にエコーを当てる先生。
「あれ、どうしたかな」と若干あわてはじめる。
何?何??どうしたの?
「内診でみてみよう」
不安なまま内診室へ。
「・・・赤ちゃんの心臓が止まってるね。」
頭の中は何が起こったか理解できなかった。
パニックというか、真っ白というか。

心臓、動いてたのにあんなに元気に。

そして先生は「心拍が弱いから1週間後に来なさいって言わんかったかね!」なんて言ったんだ。


先にも書いたけど「次は4週間後にきなさい」と確かに言ったのだよ、先生。


大泣きしている私に、看護婦がたんたんと手術の説明をし、手術の予約をし、待合室で涙をこらえてる私に、その看護婦は待合室の受付越しに大きな声で「母子手帳どうします?処分しましょうか?」と言った。
他にも人がたくさんいたのに・・・。
なんでそんな酷いことが言えるんだろう。
とてもとてもショックだった。
ちーたんが、お腹の中で生きた証。
持ってかえるに決まってる。

5月19日 手術当日は旦那ちゃんは仕事を休んでくれて、付き添ってくれた。

手術は、本来全身麻酔できないはずの喘息の私に、その看護婦(前記と同じ人物)は”喘息もちと知っていながら”全身麻酔をした。
まぁ、生還したからいいけど。

そして、目覚めた私がいた部屋は妊婦さんたちがたくさんいる大部屋でした・・・。赤ちゃんの泣き声もしたような気がするけど、あまりのショックに覚えてません。

流産して知ったこと。この病院が、若い子たちの堕胎を簡単に行うことで有名だったこと。

術後子宮内が膿んで激痛を伴う生理になり、散々だった。
1回受診して転院しようと決意した。

こんな病院にはいられない。


そして、2回目の妊娠流産でお世話になる病院へ通うことになる。

2人目の天使@2007へ続く(気が向いたら書きます)

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