私もらふまさんの協奏曲を聴いたとき
いかにも帝国らしい曲調だなと
思いつつ
なんかアラビアのロレンスみたいだな…
と思った箇所があった。
 
 
ぶうにゃんも同じように思うことは
まずないと思うけど
らしくない…という言葉は
我が意を得たりって感じがする。
 
 
この時の問いは
「ろしあの作曲家の作品は
 演奏しないのですか?」
というもの。
 
らふま先生だけは
ろしあ的でもあるし
非ろしあ的でもあるから
興味がある…とお返事している。
 
 
公演のプログラムは
基本演奏家が決めるのだろうが
招聘元のご意向も
受け入れなければならないのではと
思っている。
 
 
だからとて
残っている音源は
ヨーロッパの作曲家の作品が
多い気がしていた。
 
 
できれば聴いてみたい…と
思う曲もあるけど
ぶうにゃんが言うところの
手垢のついた作品には
食指が伸びなかったようだ。
 
 
難曲が多いと言われる
鐘の曲を作り給うた
技巧派ピアニストの作品も
一般的にウケる鐘の曲は
なかなかお目にかかれない。
 
 
はて…
聴衆の前で
ご披露したことが
あるのだろうか。
 
 
このインタビューでは
ホロヴィッツ氏の生演奏を
聴く前と聴いた後では
音楽院の生徒の弾き方が
変わったとも書いてある。
 
 
それまではフォルテッシモが
演奏の基盤だったのに
ピアニッシモが基盤に変わった
 
とある。
 
 
音楽院の生徒さんにも
多大な影響を残したなんて
すごいなあ。
 
 
…でかのぶうにゃん氏は
スクリャービンで
涙したそうな。
 
 
 
なんか若いぶうにゃんの
柔らかいところに
強い風を吹き込んだ演奏って
どんなだったんだろう…と
暫し空を見上げた。