1986年7月の雑誌記事
インタビューを終え
記者さんを玄関まで見送ってくださった
ぶうにゃんのお母さまは
間もなく日本に旅立つぶうにゃんを案じて
「まだまだ坊やなのに、
一人で日本に行くのよ。」
と仰ったそうだ。
恐らくピアノ以外のことは
本を読むかオトナの会話を聞くくらいで
実際に社会に触れることは少なかっただろう
19歳のぶうにゃん。
(初来日は夏なのでギリ19歳)
そう思うと今では考えられない
純粋培養なんだけど
その坊やは
2年後故国を離れるという決断をする。
一頃ぶうにゃんはマザコンなどと言われたけど
そうやって大国の魑魅魍魎から
身を挺して守らなければ
今のぶうにゃんはあり得なかっただろう。
この時のインタビューでは
その坊やは
坊やとは言えない鋭さで
インタビュアーを翻弄する。
質問の核を瞬時に芯で捉え
迷いなく芯で答えている。
野球ならばいちろーさんだ。
野球センスの塊だった彼のように
ピアノや音楽について
硬質で異論を挟む余地のない
正論を語っている。
ぶうにゃんよりもセンパイのインタビュアーは
やりにくかっただろうな。
…と
読みながら
ついつい思う。
ママにとっては坊やでも
インタビューの相手としては
非常に面白くて
非常にやり難かっただろうな。
そんなぶうにゃんも
好きだな。
