私がぶうにゃんに恋をして

まだ間もないころ

胸に突き刺さった記事がある。

 

 

今回のコンサートツアーのパンフレットに

件の彼の名前があった。

 

 

20年ほど前の雑誌

 

 

『蜜を含んだ耐え難い苦痛』

 

ぶうにゃんはコンクールのことを

そう表現した。

 

 

その語彙の深さと

チョイスの鋭さ

的確な表現に

驚いた。

 

 

あの鋭い一言を引き出し

文にしてくださった方が

この方だった。

 

 

その一言と共に

心に残っていたので

パンフレットに

そのお名前を見つけてドキッとした。

 

 

音楽評論家である。

 

ぶうにゃんとのお付き合いは

かなり長いらしい。

 

チャリティーコンサートをしていたころからだから

パンフレットの通り

東日本大震災からでも

13年になる。

 

奥尻からなら30年だ。

 

 

『辛かった時、悲しかった時

 いつもわたしを支えてくれた音楽で

 元気になってもらおうと思った。

 君たちが天災などに負けず

 以前のようにまた元気に

 授業を始めてくれることを願って

 魔法の箱  を贈る』

 

という言葉を残したぶうにゃん。

 

 

それをそのまま

自分へのエールに…

 

と締めくくっている。

 

 

 

 

この方は

ぶうにゃんがMCをつとめた

東日本大震災のコンサートで

間近に接したそうだ。

 

 

この方も

勿論ぶうにゃんのピアノの

大ファンだろう

 

 

そして

ぶうにゃんという人間の

大ファンでもあるのではないかと

思う。

 

 

長いお付き合いが続くって

本当に素敵だな。