シンフォニーホール ロビーの
陶磁器のようなオブジェ。


最初はスタンド花かと思った。


お花は永遠ではないけど
このお花は
色褪せたりしないのかなあ。



夢に見た
ぶうにゃんが生で聴かせてくれた
バッハは
館内で響きが止んだら
泡沫のように消えた。


楽譜に書けば
曲は残る。


でもピアノは
音源として残さなければ
シャボン玉が弾けるように
跡形もなく
消えてしまう。


だから美しいのだろうか



だからとて
ぶうにゃんなのである。


その演奏を
是非とも聴きたい!
聴いたけど
何度も聴きたい‼
と思った
私程度のファンは勿論
ぶうにゃんの総ての音を
我が物にしたいと願う
熱いファンも
さぞや多かろう。


儚さも
ピアノの魅力の一つだろうとは思う。


それでも
優れた芸術は
後世に残すべきだ。



正確さだけではなく
人の心を掴み
酔わせる力のある
魅力的な演奏が
確かにあった。


プロフェッショナルぶうにゃんは
未だ合格点には達していないと
思われている風があったから
残したい演奏とは
言えないのかもしれないけど
はじけて消えてしまうには
あまりにも美しかった。


私が一度聴きたいと
待ち望んだ曲目だからなのだろうか?


儚さという味わいは
砂漠のオアシスかもしれないけど
ぶうにゃんのバッハは
私には言葉にできないほどの
尊厳があった。



温かく優しく麗しい
正しくプロフェッショナルの演奏だった。



……
して……


ぶうにゃんは
ドイツに
お戻りだろうか…


寂しくなるなあ。


思い出が
泡沫になりそう。