何度かコンサートに参戦して
ぶうにゃんには
ぶうにゃんなりの
ルーティンがあるのかなと
思い始めた。


舞台袖から余裕綽々で
歩く姿

杖を頼りにしながらも
往年のように
少しだけ首を傾け
肩を揺らすように歩く。



椅子に腰を下ろしてから
上着の裾を払う仕草


演奏後
椅子から立ち上がり
右手を胸にあてて
少し照れたように微笑みながら
首を傾げる姿



万雷の拍手に応えて
恥ずかしそうに緩む口元

拍手に誘われるように
舞台の三分の一程の所まで
歩を進め
客席に正対してから
会釈のようなお辞儀をする。


鳴り止まない拍手を浴びながら
徐ろにピアノの前に座る
素敵なぶうにゃん。


今回のツアーのアンコールで
バッハを演奏した地方があると聞いて
羨ましくて仕方がなかった。



果たして
私も念願の
主よ
人の望みの 喜びよ
を聴くことができた。


美しくて優しい
本当に清らかなバッハだった。
拍手をした手は
そのまま下ろすことができず
胸の前で合わせ
最後まで微動だにせず
聴き惚れた。


本当にボキャ貧で
あの感動を伝える言葉が
見つからない


春の初めに芽吹いた
ツクシンボみたいな

寒い雪景色を
雪見障子のこちらから
見ているような


甘い甘いチョコレートを
口の中で
ゆっくり溶かしているような


静かで温かく
大きな翼に護られているような
神々しいバッハだった。

弾き終わると
今回はスタンディングオベーションが
客席のあちらこちらで
起こっていた。


またまた恥ずかしそうに
舞台の左側で
胸に手をやったり
手を上げたりして
にこやかに応える
絵に描いたような
貴公子のぶうにゃん。


そして
形の良い頭を
客席の右側の皆様や
2階、3階席に向かって
頷きながら下げる。


これが又、惚れ惚れするほど
高潔なんである。




最盛期のぶうにゃんを
生で聴くことはできなかったけど
今!
ぶうにゃんのバッハを聴けたのは
本当に幸せなことだと思う。


あぁ
このツアーが
映像として残り
それを沢山の人が
手にできたらいいのに。


いつか又…
ぶうにゃんの演奏が
ディスクになって
後世に残り
その時苦しい人を
慰めてくれる日がくると
信じたい。


その日まで
元気に楽しく
働かねば…



私にとって労働は
社会還元などという
大層なものではなく
ぶうにゃんを樂しむ
対価獲得の手立てだ。


目的と目標が
はっきりしたのだ。


働こう…。


お館様の勤務評価で
多少なりとも
良いお点をいただけるように。


だから ぶうにゃん
又ツアー計画してね。


今回
一度、生で
ぶうにゃんの
寄り添ってくれる
バッハを聴きたい!
という夢を叶えてくださって
ありがとうございました。


あんなに素敵なピアニストが
この世に存在してくれているだけで
充分幸せ。