
私のような
平凡な生活では
こんなにドラマティックな
作品にも演奏にも
触れることは
普通無いと思われる。
慟哭と高揚
絶望と希望
荒野と豊かな大地が
背中合わせになって
私に押し寄せてくる。
一抹の輝きがあるのは
ぶうにゃんなればこそだと
思ってしまうのは
贔屓の引き倒しだから
仕方がない。
独り重い足取りで歩く
想像の中の主人公は
粗末な服を着ていても
何処かしら
気高く見えるのは
やはりぶうにゃんのピアノが
上品だからだと
ファンはどこまでも
推しを崇拝してしまう。
ただ
この曲は
胸に迫る。
ポーランドの作曲家でも
元帥とは全く趣きが違う。
生まれ育った時代が違うのか
環境が左右しているのか。
でも
転んでも倒れても
尚立ち上がるような
力強い曲だなあと
何も解らないど素人は
胸を熱くしたのであります。
文化や教養
思い出や夢の
総てが現れる音楽…
という
ぶうにゃんの言葉が
頭と胸に響いた。
今世の中に溢れている音楽も
未来の人達に
何かを伝えるんだろう。
文化 芸術に携わる人の
責任は重い。
そして遺す私達にも
責任の一端がある。
良い音楽を残したい
と殊勝な事を
考えた。
出来ることは少ない
毎朝ポロネーズを聴くことくらい。
しかも
動画サイトで…
後は
文化水準が発展途上にある
我が田舎町で開催される
クラッシックコンサートの
当に末席に並ぶことくらい。
それでも
出来ることは
やっていこう。
若いサラリーマンが
眼の前の同僚や上司の顔も見ず
ケータイに目を落としていると
お連れ様が席を外したタイミングで
「珠にはYouTubeでクラッシックを
聞いてご覧なさいな…」と
言ってみる。
一端の人生を送る人は
良い音楽を聴いて
美しい絵画や美術品を見ているよ。
お話に反応できたら
素敵じゃない?
彼らの心に届いたかどうかは
解らないけど
その時はホロ爺(失礼)を
お勧めしている。
良い音楽は
良い人生に不可欠だと
最近は心から思う。
アンポンタンも
偉くなったもんだ
