演奏が終わり、

余韻を司るかのように

長い長い右腕を

斜め上に上げるぶうにゃん。



この人は

音に触れることが

できるのだろうか?



響音を

肌で感じるのだろうか?



答えは

神とぶうにゃんのみぞ

知るところなのですが

ぶうにゃんには

人の持つ五感の他に

音楽的特異感覚が

備わっておいでなのかもしれない。



あんなふうに

彷徨っている音を

はっきり目視して

ゆったりと

大きな掌で

掴めるんじゃないかと

私には思える。


しかも

その音は

微妙に

色や大きさや軽さが

違っているのでは…と

思うのだ。



ぶうにゃんだけに見える

音の真珠が

弾んだり浮いたりしている

舞台に

高貴な漆黒のピアノと

上品で叡智の塊のぶうにゃんが

堂々と存在している。




なんて

絵になる御仁であることか。



大仕掛けのバックや

飾り立てる宝飾品は

必要ない。



あぁ

この私に

僅かでも画才が

あったなら

後世に残すべく

あの美しい姿を

なんとかして

残しただろうに

哀しいかな

私には才能が未だ発現しない。



勿論お写真だって

素敵な一瞬を

捉えたものはある。



でも

命や煌めきは

絵の方が込めやすいかもしれない。




まあ

何にしても

あの、美しい

被写体である

ぶうにゃんは

私の心のアトリエに

永久保存するしかない。



残念なような

至高のような。



ぶうにゃんが

美しすぎるから

こんなことになるのだ。