自分に厳しい人が

コンサートピアニストとして

又歩き出すまでの時間を

口にしている。



何の根拠もなく

希望的観測だけで

こんな事を

言うような人ではないと

私は思うのだけれど

どうだろう。



なんと言っても

全くピアノに

向かえない時間もあったのだ。



不安や恐怖は

如何許りだろう。




それでも

こうして

ツアーを組み

去年より

沢山の曲を選び

コンサートピアニストとして

羽ばたこうと

してくれている。


あの時の言葉通りに




プロなのだから

甘い判断で

計画した事では

ないだろう。



かくありたい

という理想を見据えた上で

足下を明るく照らしつつ

観たうえでの

決定だろう。



だとしたら

観客も

怪我をしたのだからと

贔屓目に見るのは

失礼だろう。




無理はしてほしくない。



でも

ぶうにゃんなら

全うできると

信じています。



江戸屋敷のピアノは

ファッツオリでしょうか?



満身創痍のぶうにゃんを

優しく包んでね。




もしも

もしも

ぶうにゃんの何かの力が

少し弱かったり

小さかったりしたら

精一杯、

助けてあげてね。



祈るように

ぶうにゃんを見て

聴いている

沢山の人が

力一杯立ち上がって

拍手できるような

演奏になりますように。



たとえ

それが道の途中でも

視線の先の未来が

明るく照らされていますように。