
昨年の
世間を賑わせた
ドキュメンタリーのワンシーン。
堪えきれない哀しみに
溢れる涙を
大きな手で隠している。
心なしか
左頬と、耳が
赤く染まっている。
強い強いぶうにゃんが
泣いている。
普通に生きていても
片足の一部切断は
辛いはずだと思う。
ましてや
ピアニストであり
ピアノを弾くことが
大好きなぶうにゃんだ。
並の人間ならば
死んでしまいたいと思っても
責められない程の痛みだ。
慟哭という言葉は
読むことはあっても
なかなか見ることがない。
ぶうにゃんは
声は発していない。
でも
胸の中は
痛くて切なくて哀しくて
泣き叫んでいただろうと思う。
この日まで
何度も何度も
こうして涙を流し
立ち上がれない程
脱力したんだろうな。
それでも
立ち上がり
ピアノの前に座り
ピアニストで有り続けてくれた。
この、奇跡を
今更ながら有り難く思います。
あの
ショパンコンクールの時は
子育てに夢中だった。
洗濯物を畳みながら
ぶうにゃんのワルツを聴いた。
いつか
本物を聴きたいなあと
思ったけど
実際に聴くのは
無理だろうと
それまでの人生で
何度も何度もしてきた
『諦める』ことの
心の準備もしていた。
でも
ぶうにゃんは
ちゃんと
ぶうにゃんでいてくれた。
ありがとね。
今
ぶうにゃんのコンサートを
こんなに楽しみに生きてる事に
本当に感謝します。
そして
全力で立ち上がってくれた
強いぶうにゃんと
ぶうにゃんの道標になってくださる
最愛の奥様に
心からの拍手を贈ります。
もう、泣かないでね。
身体も心も
無理をしないで
今のぶうにゃんのままで
いてね。