この13歳の頃には

頭角を現していたのだろう。



特にピアニストの神童と

謳われる方々は

その才能を隠しきれず

世界に出る時は

既に概ね完成されているような

気がする。





昨今、

コンクールを席巻し

度肝を抜くようなピアニストも

随分若年齢化しているのでは

…と思っている。




それでも…なのだ。



経験値や解釈の深さも大切だけど

この動画を見ると

やっぱり

染み込んだ風土や文化に勝るものは

無いような気がする。




しっかり立たなくては!

と思う時

好んで聴く。




聴くほどに

荒れた大地や

戦わなければならない

深い嘆きが溢れてくるようで

私の目の前の壁は

もしかしたら

ただの小石ではないかと

思えてくる。



血管が妙に引き締まり

血がザワザワと

音を立てている感じ。




聴き終えた時

やはり

この曲は

大国に生まれ育った方が

大国の教育を受けて

作られるべくして

作られたと思える。




思えば思うほど

元帥やばっは翁に比べて

ぶうにゃんの演奏機会が

少ないような気がして

ならない。




気のせいなのか

私がぶうにゃんについて

余りに無知なせいか。



これは

1990年の演奏だ。


ぶうにゃん24歳。


移住して2年。



生活は安定していたのだろうか。



若いからこそのこの演奏も

凄いなあと思うけど

病気がなければ

30代 40代 50代

と聴く人の人生に

寄り添うような演奏を

聴かせてくれたのではないかと



そう思うと



神様、なんちゅうこと

してくれたねん!



と言いたくもなる。



でも

だからこその

今の温かい演奏だと思えば

今更にぶうにゃんの

ばっは翁が

楽しみになる。




ぶうにゃんは

決して裏切らず

私を夢の彼方に

連れて行ってくれる。



どんな道を歩こうと

ぶうにゃんの

音楽への愛情と

ピアノの才能は

誰かを照らす。



私の周りも

ちゃんと

照らしてくれている。